当時は何時でも逃げられるように 衣服は着たまま寝てた。

急いで起き 祖母が1歳の弟を背負い 母が3歳の妹を背負った。急いで外に出ると

すでに空が火災で真っ赤になり 逃げる住民は皆さん700メーターほどの距離にある隅田川を目指した。 中にはリヤカーや大八車に家財道具を積み逃げる者もいた。

 

寅一家は隅田川沿いにある大きな料亭{聚楽}の庭に逃げ込んだ。その庭は広く隅田川に面し

築山があった、 すでにその築山の陰には10人ぐらいの人がいて 布団が持ち込まれていた。

 

東京大空襲は真冬の3月10日 夜中に編隊を組んで飛来した米軍機が 浅草上空でガソリンをまき そこへ焼夷弾を落としたと言われ 火の回りが早く 浅草は今戸の火の粉が隅田川を超え 向島も火災を起こした。

 

3月10日早朝 本来なら寒さで震える季節 早くも川岸の石などにつかまり 水につかる人もいた。 母が自分たちも同じように川に入るかと聞いてきた時、 何枚かの布団を持ち込んだ人が バケツも持ち込んでいたので 15人ほどの人が 布団の下に入り その布団にバケツで隅田川の水をかけた。寅一家もその布団の下へ入れてもらった。