桂太郎を超えたという、
何を寝ぼけたことを!!
ただ長かっただけ、絶望的になにもない。
本人も周りも認めていた得意の外交も全く成果なし、
大航海時代じゃあるまいし地球儀を俯瞰するとか、よく恥ずかしくないものだ。
アベノミクスは失敗、
日本を衰退させて米中を喜ばせただけ、
経済成長2%、GDP600兆円達成は、もう本人も言わなくなった、
結果としてタダのほら吹きだった。
戦後の歴代首相は、
吉田茂 講和条約
鳩山一郎 シベリアの抑留者帰還
岸信介 安保改定
池田勇人 所得倍増
佐藤栄作 沖縄返還
小泉純一郎 不良債権処理、郵政民営化
を成し遂げた。
さてさて、
桂太郎は、日英同盟を締結し日露戦争を遂行した宰相、
安倍晋三は、とてもじゃないが桂太郎越えどころか足元にも及ばない。
桂太郎は官費留学が出来ないと分かるとドイツに私費留学している。
一方、あんぽんたんは、遊び半分でアメリカに語学遊学、そこでもりかけのかけの方と友達になった。
太郎べえとおつむの弱いあんぽんたんと比べるのは太郎べえに失礼な話だろう。
♦ゆるがぬ決意と覚悟――(「池上彰と学ぶ日本の総理18」より)
叔父の中谷正亮から世界地図『坤輿図識』を贈られ「世界に目を開け」と教えられて以来、桂のめざすべき人生は一度も変わらなかった。
兵部大輔の大村益次郎が軍制を欧州で学ぶことを目的に設立した横浜語学所には、卒業後に欧州に官費留学できる制度があった。
桂はここに入り、フランス語を学んで留学に備えた。
しかし、語学所は大阪兵学寮に統合され、しかも官費留学の制度はなくなったことを知る。
欧州留学の夢を断たれた桂は兵学寮からの脱出を決意した。
病気を装って除隊する方法を思いつき、そして、実行した。
軍病院でどこも異常なしと診断された桂は院長に面会を求め、大村の遺志を継ぎ、欧州の軍制を学びたいと必死に訴えたのである。
診断書には「兵役に耐えず」と記入された。
こののち桂は私費でドイツに留学する。
人生の岐路をみずからの意志で乗り越えたのである。