大水害 | 老$の徒然草

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もうじき80歳、ブログはボケ防止の頭の体操
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15号は大風害

19号は大水害

をもたらした。

現時点でも家屋の被害の全容は不明、被災された方に同情を禁じ得ない。

床上浸水となれば家具、家電、車も使い物にならず、家屋の補修も大変な費用がかかるから途方に暮れる。

 

私はずっとNHKを見ていた。

民放と違って台風情報だけの放送に徹したのは良かったと思う。

 

我が町内に好漢がいる。

彼は自宅ガレージでチェーンソーの点検、発電機の点検、コンロ用のホワイトガソリンの補充、ブルーシートやロープの点検、いざと言う時に備えていてくれた。

ここには自治会の防災倉庫と同じ防災備品がある。

 

私が経験した唯一の水害

 

昭和33年の狩野川台風は、伊豆半島で死者1200人を超す甚大な被害をもたらした。
この台風は東京湾もかすめ、神田川が氾濫した。
当時文京区に住んでいた我が家は床上浸水、近くの小学校に避難した。
祖母と一番下の弟は、学校に一泊した。
学校の講堂の舞台に一升瓶が何本かあったことを良く覚えている。
鳩山一郎(鳩山由紀夫前総理のおじいさん)の名前が書かれていた。
東京・文京区のテッパンのヒーローは、鳩山一郎だった。
神田川・江戸川橋に近い高台にあった音羽御殿の当主。
自身の選挙運動は最終日の半日だけ、
外車のオープンカーに乗って選挙区を移動する時は、子供達まで声援を送った。
大人たちの唯一の関心事は、得票が10万票?だったか、その大台を越えるか否かだった。
(後々孫が選挙の度に苦戦するとは、・・・・・)