2年ぶりに横浜・久保山の墓参りに行った。
墓地は高台にあるので、昔は三菱の造船所、今はみなとみらいが遠望できる。
そう遠くない時期にここの住人になるだろうが、時々、飛び出して海の方を見たいものだ。
戦後、巣鴨刑務所で絞首刑にされた東条英機、“落日燃ゆ”の広田弘毅らA級戦犯は、GHQによって秘かに東京から横浜の久保山墓地に移送され、そこで荼毘に付された。
飛行機から散骨されたらしい。
そんなことが城山三郎の『落日燃ゆ』の冒頭に書いてあった。
下の写真中央の塔が焼き場の煙突。
久保山墓地は、戊辰戦争で戦死した長州・土佐藩士も埋葬されている。当時、高い医療技術を持つ外国人が住む横浜に軍の病院を建てて治療に当たった。
しかし、そこで亡くなった者もいたので、彼らを久保山に埋葬した。
関東大震災と太平洋戦争でも横浜の被害は激甚を極め、遺体は焼かれて久保山墓地に埋葬された。
久保山墓地は、横浜市営の霊園であるため近現代史と向き合ってきた。
横浜市もこの墓地の維持管理費を数年前から墓地利用者求めるようになった。
だから横浜市から毎年支払通知書がくる、年額5千円。