"恋つづ" ロス……
にはなってないけど(笑)

なんていうか……

ちょっと色々と
思い出したことがあったので
書いておこうと思いまして。



私が極端に意識していたのは
"恥ずかしい"という感情。


中学生でもあるまいし(笑)
中年おばちゃんが何言ってんのってのが
これまでの概念だと思うけど(笑)


でも、身の内で何も解決しないまま
気がついたら歳だけは取っていて、


もう、そんな感情事があることなんか
表にだすことも、それが有ることすらも
人に知られてはならないと、


そのうち、その感情事には
なるべく触れないように、
常にポーカーフェイスを装うことしか
出来なくなってくんだよね。


多分、私の場合は
幼い頃からの父(男性)に対しての
トラウマから来ていたものじゃないかと
思っていたんだけど
(父へのトラウマはもう克服出来てると思ってるけど)

どうやらそれだけじゃなかったみたい。


そもそも『恥ずかしい』ってやつは
異性に対してだけの感情ではないのだけど
異性には過剰に反応してたと思う。


トラウマと恥ずかしさが合体することで、
異性に対しては多くの反応が
起きやすかったってことかなと。


なので、"恋つづ"のようなドラマや
映画なんかは、これまでは
恥ずかしすぎて見てられなかった(笑)


この『見てられない恥ずかしさ』って、
元々、"性"に対しての抑圧とか、
まぁ、トラウマとかが多くある場合、


自分の中のそれらの"性"に対する認識が
ネガティブなイメージとして鎮座していて


"恋つづ"のようなキュンキュン場面や
ツンデレ場面、よく言う恋愛ドラマなんかは、
思いっきりその ネガティブワードに
引っかかってしまうわけで。


自分の中で過剰反応することに
耐えられなくて、または見つめられなくて
こんなドラマ(映画)は、見てられない!と、
なってしまうわけですよ😂


先日、お友達と会った時に、"恋つづ"の
話題が出て、お友達は見てられないうえに
怒りすら湧いていたように思ったな😂
(こんなことあるわけないじゃん!💢てやつ)

いや、まぁ、漫画ですから……(笑)



そう、"怒り"ね。

私はありがたいことに、"怒り"はもう
かなり卒業したと思う。


これまでは自分の中の拗れた女性性は
拗ねに拗ねまくってましたからね😂

幸せな場面は、喉から手が出そうに
なっても、その手を払ってしまうのが
自分自身だったわけで😂



でも、もうね、

わたし、しあわせになりたいなー🤣🤣


喉から手が出るなら出そうよって。


だから、その手を払う自分を
ずっと癒してきたんだもの。


もう、ポーカーフェイスな自分と
さよならして、

幸せになりたいわたしを


解禁!🤣




あ!そうそう!
思い出したことさ(笑)
(前振り長!)


中学生のとき、吹奏楽部の部長を
やってたのね。


私は楽器何も出来ないし、全部で4~5人
しかいなくて、ただ名前だけの部長(笑)


ある日、体育館に全校生徒が集まり、
『全共』という、もう、何を略した
タイトルかも分かりませんが(笑)


生徒会が開催する全共報告会みたいな
ものがあったのですよ。


まぁ、自分にはあまり関係の無いこと
だろうと思っていたので、他の生徒共々、
ただ、参加していただけでした。


が、中盤、突然名前を呼ばれ、
体育館内の各所に設置されたマイクの前に
立つことに😳


それは、各部活の何某の報告のためだった
ようなのだけど、
私としては寝耳に水的な感じで😂


体育館のステージ上には生徒会役員さんが
ズラっと並ぶ中、その中の誰かに、


"あなた、全共に1度も出ませんでしたよね!"


と、言われました。



!!!!!????



一瞬にして、その言われた意味が分かっ
たんだけど、、、

ただ……


それまで、私は全共という存在もあまり
よく分かってなかった。

それに出席する必要があったことも
良く知らなかった。

特に案内を貰ったこともなかった。

いつ、そーいった集まりがあったのかも
知らなかった。

誰にも、先生にも、それに出ろと言われた
事もなかった。

名前だけの部長だったせいなのか、
私が知らない事を誰も知らなかったのか、
私だけが知らなかっただけなのか、 

要は、完全にすっぽかしていたと、
受け止められていた。


事実は、『すっぽかしていた』に
ほかならないのだけど、私はそれを一瞬で
受け入れるしか無かった。


全校生徒の前で、
"全共をすっぽかした、だらしない人、
いい加減な人"
と、された。


マイクの前に立った私は、真っ裸で
全校生徒の前に立ち、侮蔑のような視線を
浴びたかのような気分で


頭の中が真っ白で、全身の血が一気に
頭に登った状態で、屈辱と恥ずかしさで、
もう、何をどう答えたのか全く覚えてなくて、


ただ、"辱められた"
という感情だけが強烈に残った。


これは、多分幼少の頃にいたずらされた時の
記憶や、父へのトラウマと直結したんじゃ
ないかと、いま気がついたんだけど……😳



私が人生で一番恐れていたのは

馬鹿にされること。
侮蔑されること。
辱められること。


これだ!



何でもソツなくこなせるようになったのは、
誰にも馬鹿にされたり
辱めを受けないようにするため
だったんだな。。。


"恥ずかしい"と感じる時、


私は"辱められた"からなんだと、 
体が認識してしまっていたんじゃ
ないかなと。


恥ずかしくて照れる、という感情は、
私の中では"辱められて怒る"
常に含んでいたんだろうなと。


だから、逆に褒められたりとかされると
もうどーしていーらやパニック🤣
体制が出来てなくて🤣


どう表現していーか分からないから
結局ポーカーフェイスでいるしかなくて😂


いや、チョー可愛げなくて迷惑🤣🤣
書いてて自分事ながら痛いわ😂


だから、特に異性によって
恥ずかしさを感じる事があった時は
その前提として"辱められた"という
認識が先に立ってしまって


いつもどこかで、
相手に侮蔑されているように
受け止めていたのかもしれないなと。


数少ない過去の方々、
大変申し訳ありませんでした😂


だから、自分が"女性"であること、
その身体や特性や感情までも
素直に受け入れることが
出来なかったんだなーと。
 




キュンキュンや、

ドキドキや、

ニヤニヤや

照れ照れも、

"辱め"が主張してれば
耐えられない😂



そしてこれは、
異性は、実は関係なかったんじゃないか?
とも思った。


私が"辱め"と感じて、身のうちに恐怖や
怒りを見つけるのは、異性の方が反応
しやすかっただけの話で。

人間関係の中であっても、
私は"恥ずかしい"という感情を感じるのが
すごく嫌だった。

なので失敗をすごく恐れてた。


でも、"恥ずかしい"という感情を感じる
要因は、人それぞれ違っているから、 


もしかしたら人様にはとても恥ずかしく
思うことでも、私は案外平気でやったり
言ったりしていたことは沢山あったかも
しれない😂 

いや、あるだろね🤣🤣






今の私は、もう
誰かに辱めを受けることは無い。

あったとしても、
もう"辱め"とは認識しないし、
それで"わたし"が傷つくことはもうない。



恥ずかしいと辱めは、
もう=(イコール)じゃないんだって事が
やっと内側で、ちゃんと認めて
受け入れられたみたいなんだよね😊


やっと、見えない鎧を脱げる時が
来たんだなぁーと思えて。


多分、これも自分で設定をして、
この設定を外すタイミングも
ココに定めていたんだろうなと。


わたしはますます軽く生きやすく
なってきたぞ🤣


コロナに負けず
(基本的には殆ど意識してないけど😂)、
頭はどんどんお花畑でいよう(笑)



〜追伸〜

私のこのブログは、
トリマーの私しか認識されてない方には
意味不明だろうし、興味のないもので
あるかも知れませんが(笑)


愛犬が亡くなってからは
犬の話も滅多に書きませんし、
まして仕事の話となると、もう🤣🤣


ま、逆に仕事の話も書いちゃった
するかもしれませんね、今後は(笑)


ただ、トリマーとは私の一部でしかなくて
それも含めた全わたし
ここでどんどん晒して行くことで、


わたしを開いていく体験をしたいと
思っているんですよね( ˙꒳​˙ )





これも

"恥ずかしい" ことの

一つだけどね(笑)







でも、
もーいーやね🤣🤣