わたしを探し始めると、如何に封が効いているのかに気がつく。

ブロックとも言うのだろうけど、
『封、封印』という方がピッタリと来るように思う。


『封印』

インスピレーション、直感的なイメージを信頼させず、大切な情報をぼやかし、上手く受け取れないように、それを上手く生かせないようにしていたように感じる。

当然、自信も持てず、そのアウトプットの方法(メモや音声など残るもの)にも常に抵抗感を覚えていた。


もちろん、その封も私自身が設定したもの(笑
記憶にはないけど😂


ボヤけたイメージは、体験や感覚を使って気づきを得て、ある程度理解がまとまったらブログやSNSに投稿することで更に落とし込んでいたように思う。




で、


ここまで来て分かったことは、封をしたことによって、わたしは鏡として相対するものを良く写しよく反射させていた。


自分のことはよく見えなくても、人のことは良く見えて(暗闇が深いと良く映る)、無意識のうちに見えたものを反射(言葉や動作で)してしまい、何かしら不快や怒りの対象になってしまっていたらしい😂

当の本人は、『はい?私なんか言いましたっけ?』的な、全く持って悪気なしな訳で、無用な敵を作るには良い才能だったのかも知れません😂

たしかに、私はどうしていつもこうなんだろう…と、落ち込むこともあったけど、今になってこれはこれで役に立つことも多かったなと思えるわけで(笑)


2020年に向けて、様々な価値観の変容を促されて、今改めて自分に向き合おうと思ったときに、じゃあ、これらの封印は、この時のために、ここで解除するタイミングとして設定していたものなんだろうか…

とも思え出して来ていて。。





<わたし>
というものを探し始めると、元々認識していた自分がどんどんと曖昧になってくる😂

ちゃんとしていたような、しっかりしていたような、常識的な人だったような気がするけど、それほんと?と思えてくる😂😂😂


ヤバイ…かも…😅


そんな感じだ…😂


いつしか、そんなもんだと常識のなかに納まっている自分がいてた。

でも、その内側をよーくよーく覗いてみると、実はそんな常識からは外れたところにいる自分と目が合っちゃって🤣🤣


そんな自分を表に出せばどーなるやら…

出さなきゃ生きて行けないわけでも無く、ま、いーやで乗り切れる私なので(笑)それほど注視することも無かったのだけど…


自分を晒し始めた人たちが、
見せるのが怖い、、
あぁ、、やっちまったかも…😅

と、言っていたことの意味が、何となくその感覚がわかってきたというか…😅

確かに、『コレ』を言い出したらヤバイ奴だよなって。。😅


自分の本性、地の、素のわたしなんて見つけ出しに行ってしまったら、ヤバイものがボロボロ出てきてマジで酷すぎる笑い泣き





子供の頃の私は、自分は特別な存在なんだと思っていた。

誰しも特別であって、それぞれに特別な対応をされるのが当然だとさえ思っていた。

でも、物心ついて以来、怒りや恐怖のある特別な世界は早くから堪能させてもらったけど、私が望む扱いを受ける機会はあまりなかった。


ある意味、純粋で、無垢で、純粋な悪も持っていたし、純粋な野蛮さも兼ね備えていたと思う。

私らしさを否定されることで、一般常識という枠の中に納められ、周りの顔色で、それに見合う言動行動をとる事が、地球の、日本の、我が家の特別なんだと思わされることで、本来持っていたわたしの特別感はハラハラと散っていった感覚だけは今でも覚えている。

わたしは特別な存在なんかじゃ無かったんだ…って。

『矯正』されたのさね😂



いま、改めてその特別だったわたしを思い出しはじめている。




先日、ボイレコを買ってみた(笑)

今、手のひらサイズなのねー🤣

朝方、寝起きにフワフワっと思うことを忘れる前に吹き込んでみた。


『こだわりの無いことが、私のこだわり』


後で聞いたらこんなことを言っていた笑い泣き