今日のこの日が来るたびに、四年前にこのダッカであったあのテロ事件を思い出します。


四年経った今も、まだ整理しきれない気持ちが胸にあり

何よりも、今までもこれからもずっと消えない悲しみと共におられるご遺族のお気持ちを考えると、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。


 

あの事件では、加害者である犯行グループはきちんと教育を受けていた大学生たちということで、世間を驚かせました。
IS(イスラム国)=貧しい子どもたちが連れてこられ、生きていくために洗脳されていく、という世間一般のイメージとは違い、皆裕福な家の子どもたちだったからです。


彼らは「正義」という名の武器を持ち、誤った正義感に駆り立てられあのような事件を起こしてしまいました。
いつだって、人間の争いごとはそれぞれの正義から派生します。
誤った、と書きましたが、彼らにとっては世界にとって正しいことをしたと思っているから、実行犯が裁かれたとしてもその全体思想の連鎖は断ち切ることができません。


この国で子どもを育てるという活動をしている自分たちにとっては、こうした事件も決して他人事ではなく
子どもたちがもし同じように、宗教や正義を振りかざす過激派団体などに勧誘された場合
もしくは、日常の中でも何か取り返しがつかないことをしてしまいそうになった時。


正義という言葉に酔いしれることなく、人を傷つけることはいけないことだと思える、最後の最後で踏みとどまれる、人の道を外してしまわないような教育とはなんだろう…とあの事件以来ずっと考えています。
また、急に命を奪われてしまった方々のご家族はどんなに悔しく悲しい思いだろうと。

 

 

人がされていやなことはしない、人から「ありがとう」って言われることをしようね。
毎日のように、子どもたちにかける言葉。

誰かの幸せを同じように喜べる、誰かの悲しみや痛みを同じように感じることができる
「自分」の正義だけでいっぱいに自身を満たすのではなく、相手のことを思いやり尊重する心。


世界と同じように人の心にも光と闇があり、正解はなくとても難しいですが
勉強だけでなくそうした心を育てる教育は、やはり沢山の愛情と根気強くその子の人生と向き合っていく姿勢が大事なのだと思います。

それを尽くしたとしても、子どもは親が思うように育ってくれるわけではない。
それでも、最善を尽くすよう努めるしかない。

誰かの命を奪ったり、奪われたりすることがない世界に近付くために、今育てている子どもたちをしっかりと責任を持って見守っていきたいと思います。
 

今は新型ウィルスの感染と世界中が闘っている最中ですが、このような痛ましい事件が今後世界中のどこにも起きないことを、心より願うばかりです。
亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。