一年に二回ある「イード」というお祭り。

ひとつは断食後のイード。

そしてふたつめがこの犠牲祭であるコルバニ・イード。

 

イスラム教の経典の中に出てくるエピソードに基づき
牛を神への捧げものとして屠ります。
今年は昨日の12日がイード当日でした。

初めてコルバニ・イードを経験したのは2012年。
それまで…魚をさばいたりしたことはあったけれど
動物が殺され、肉になる瞬間を見たことはなかったので
やはり自分にとっては衝撃でした。

首にナイフを当てられ、殺される直前
牛たちは最後の抵抗で身体を大暴れさせます。
それを何人がかりかで押さえつけ、一瞬で大動脈を切ります。

せめて牛がなるべく苦しまないように、と
毎年プロの解体業者が来て牛を肉にするためにさばいていくのですが、命が絶たれた後も生体反応として、身体はビクンビクンと動き続きます。

 

それまで光を宿っていた眼が…
急にどろん、と何も映さない無機質なものになる瞬間。

ああ、命という中身がなくなったのだ、と分かります。
本当に、魂はどこにあるのだろう。
どこに行くのだろう。


生物が物体になる瞬間は
おそらく今はもう日本ではあまり見ることができない中で
とても痛々しく…なんともいえない気持ちになりますが…
わたしはこの国に来て知ることができて、よかったと思っています。

いろいろなところで言われていることですが
命を「いただく」という行為。
それはやはりスーパーでパックされた肉を見ても実感として感じるのは難しく、生きている動物を見てこそ、彼らから命をもらってわたしたちは生きているのだと感じます。
罪深くとも、人間はそうした業を背負って生きる生き物です。
菜食主義者になる以外は、それを認めたうえで有難くお肉やお魚をいただいていくしかありません。

 

そうした光景を幼少期から見て育っているバングラデシュの子供たちは、世の中の真理に関して感覚的に強く、逞しく、育っている気がします。
 

今年はアカデミーでもダッカでも牛のカレーを子供たちはたくさん食べました。
わたしはダッカの女の子たちと過ごしましたが、食べる前に祈りを捧げている姿が印象的でした。


命をいただいて生きているという認識を持つことの大切さ、そして
わたしたち人間が生きるために、たくさんの犠牲がこの地球上にあること

そんなことを毎年改めて考えさせられる、バングラデシュの犠牲祭です。