1930年代から1940年代に入っても、アインシュタインは、基本的な自らの思想的スタンスを変えなかった。
つまり、ファシズムに対しては武力で対抗するほかない、ということだった。
根底には、兵役拒否に基づく反戦行動が世界を平和にする、と考えていたアインシュタインであったが、ヒトラーによる暴挙を目の当たりにして、その考えを変え、兵器をもって戦うべきことを訴えかけた。
また、こうした国際紛争を解決するには、米ソの加盟を前提とした国際機関が必要であることを、たえず主張していた。
アインシュタインは世界中から届く、無名の人たちの手紙を読み、返事として、上記のような内容をくりかえしくりかえし書いた。
今読んでいる「アインシュタイン平和書簡2」は、「平和書簡」と銘うたれていることからも分かるとおり、彼の「平和」に関する言及を中心に文章が構成されている。
そのなかで、とりわけ注意を惹くのは、
第8章 原子時代の誕生 1939-1940
第11章 原子兵器の脅威 1945
である。第8章については、昨日ふれたので、今日は、第11章を中心に考えてみたい。
まずアインシュタインは、自らが当時の大統領に進言したことにより広島、長崎に原爆が投下された、ということについては、多くを語っていない。
むしろ戦後どのように原子エネルギーの研究開発を進めてゆくべきか、にもっとも関心が高かったようにみえる。また、そのための国際機関の創設であった。
「原子エネルギーの解放は、新しい問題を創造した訳ではない。・・・戦争が起こるのは確かだということである。このことは、原子爆弾が造られる以前にも、本当のことであった。変ったのは、戦争の破壊性である。
・・・原子爆弾の秘密は世界政府に寄与すべきものである。・・・合衆国と大英国は原子爆弾の秘密を握っており、ソ連邦はそうではないのだから、両国は、計画されている世界政府の憲法草案の準備を公表するに当たって、ソ連邦を招待すべきである。」(409ページ)
これが前半部分の基本的な主張である。そしてこのあと、が重要である。
「私は私自身を原子エネルギー解放の父だとは、考えていない。それにおける私の役割は、全く間接のものであった。事実私は、私の生涯のうちに原子エネルギーが解放されるとは予想しなかった。理論上可能だと考えたにすぎなかった。」(411-412ページ)
この一文から考えられることは、二つある。
1)アインシュタインは、理論にしか興味がない
2)アインシュタインは、理論的発見と、技術的実用は、別のものだと考えている
しかし彼は、政治的実践として、
1)イスラエルの建国
2)世界政府の樹立
を、この時点で願い、さまざまな活動をしている。どうもこの感覚が、私にとってはよくわからない。やはり私にとってアインシュタインは「異人」なのだろうか。
なおこの文章の末尾のほうに、次のようなくだりがある。
「原子エネルギーの解放はなされうるし、疑いもなくなされるだろうが、それによる人類にとっての大きな恵み、これは暫くの間やって来ないかもしれない。」(413ページ)
そう、アインシュタインは、本当に技術的活用には関心がないのであろう。原子力発電のことは、一切ふれられていないのである(もちろんまだこの時点では実用化には至っていないとしても)。
私たちの感覚でいえば、アインシュタインほどの人間であれば、たやすく原子力発電という形での、原子エネルギーの利用について、ある程度想像ができたと思うのだが、どうもそうではないようだ。
しかし同時に、こういう読み方もできる。アインシュタインは、1945年12月10日に、ニューヨークで開催されたノーベル生誕記念晩餐会で次のような発言をしている。
「科学者として、これらの武器によって創り出された危険に対して、われわれは警告を止めてはなりません。」(417ページ)
どうしてここまで言っておきながら、自らの科学的探究の結果発見されたものに対して、十分な注意を払う、という意識をもたないのだろう。私にはわからない。
生み出されてしまってからでは、遅すぎるのではないか。
さらに続けて、こう言う。
「われわれは人類の敵が最初にこの新兵器を完成するのを防ぐため、その創造を支援しました。ナチスの知性にこの兵器が与えられたら、云うべからざる破壊と世界中の全国民の奴隷化をもたらしたでもありましょう。」(417ページ)
広島、長崎の悲劇については、直接的には、語らない。それが、何であったのか、を。文中から読みとれるのは、ナチスほどではないにせよ、非戦闘員が多く住まうかの地への「云うべからざる破壊」が米国によって行われ、その結果、日本中の「全国民の奴隷化をもたらした」のではないか、ということをアインシュタインは何ら気にしていない、ということである。
唯一本書で登場するのは、それから約1年ほどして、ニューヨークタイムズ日曜版のインタビューのなかである。
「広島に対する空襲以前に、指導的な物理学者たちは陸軍省に、無防備の婦人や子供に対してかの爆弾を用いないよう、勧告しました。あの戦争は、それがなくても勝ち得たでしょう。」(451ページ)
自分たちはすべきことは、した、という認識のようである。
以上、第2巻もまた、空振りに終わってしまったようだ。
第3巻には、私と同じような疑問を抱いた人物がいる。次回は、その箇所を中心に検討しようと思う。
なお、前回、書き忘れたが、本書は誤植がいくつかあり気になる。
冒頭の2行目にいきなり句点が2つ打たれている。
「台頭は、、アインシュタインの生活に・・・」
前後に何度も出てくる「ボーア」の名前が1カ所だけ「ボア」になっている(343ページ)
「最も注目すべき貢献をしている一人であるボアに伝えられた。ボーアはすぐさま・・・」
413ページでは「元素」を「原素」としてもいる。
また、翻訳も硬く、直訳調であり、少々苛立たせられる。
「運輸と通信のかかる著しい発展の結果、必然のこととなった利益を確保する為、民主主義の土台に立って組織された一連合体です。」(373ページ)
「大量殺戮用に原子エネルギーを用いることが成功して、突然世界には一つの新しい問題が提起された。この問題に充満している恐るべき内容は、アインシュタインに、人類を破壊と絶命より護る戦後の闘争に当面して、最も活発なある役割を担わせるに至った。」
高校生の英文和訳のような感じである。
***
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アインシュタインの苦悩は続く~平和書簡2、を読む
核エネルギーとアインシュタインの苦悩
つまり、ファシズムに対しては武力で対抗するほかない、ということだった。
根底には、兵役拒否に基づく反戦行動が世界を平和にする、と考えていたアインシュタインであったが、ヒトラーによる暴挙を目の当たりにして、その考えを変え、兵器をもって戦うべきことを訴えかけた。
また、こうした国際紛争を解決するには、米ソの加盟を前提とした国際機関が必要であることを、たえず主張していた。
アインシュタインは世界中から届く、無名の人たちの手紙を読み、返事として、上記のような内容をくりかえしくりかえし書いた。
今読んでいる「アインシュタイン平和書簡2」は、「平和書簡」と銘うたれていることからも分かるとおり、彼の「平和」に関する言及を中心に文章が構成されている。
そのなかで、とりわけ注意を惹くのは、
第8章 原子時代の誕生 1939-1940
第11章 原子兵器の脅威 1945
である。第8章については、昨日ふれたので、今日は、第11章を中心に考えてみたい。
まずアインシュタインは、自らが当時の大統領に進言したことにより広島、長崎に原爆が投下された、ということについては、多くを語っていない。
むしろ戦後どのように原子エネルギーの研究開発を進めてゆくべきか、にもっとも関心が高かったようにみえる。また、そのための国際機関の創設であった。
「原子エネルギーの解放は、新しい問題を創造した訳ではない。・・・戦争が起こるのは確かだということである。このことは、原子爆弾が造られる以前にも、本当のことであった。変ったのは、戦争の破壊性である。
・・・原子爆弾の秘密は世界政府に寄与すべきものである。・・・合衆国と大英国は原子爆弾の秘密を握っており、ソ連邦はそうではないのだから、両国は、計画されている世界政府の憲法草案の準備を公表するに当たって、ソ連邦を招待すべきである。」(409ページ)
これが前半部分の基本的な主張である。そしてこのあと、が重要である。
「私は私自身を原子エネルギー解放の父だとは、考えていない。それにおける私の役割は、全く間接のものであった。事実私は、私の生涯のうちに原子エネルギーが解放されるとは予想しなかった。理論上可能だと考えたにすぎなかった。」(411-412ページ)
この一文から考えられることは、二つある。
1)アインシュタインは、理論にしか興味がない
2)アインシュタインは、理論的発見と、技術的実用は、別のものだと考えている
しかし彼は、政治的実践として、
1)イスラエルの建国
2)世界政府の樹立
を、この時点で願い、さまざまな活動をしている。どうもこの感覚が、私にとってはよくわからない。やはり私にとってアインシュタインは「異人」なのだろうか。
なおこの文章の末尾のほうに、次のようなくだりがある。
「原子エネルギーの解放はなされうるし、疑いもなくなされるだろうが、それによる人類にとっての大きな恵み、これは暫くの間やって来ないかもしれない。」(413ページ)
そう、アインシュタインは、本当に技術的活用には関心がないのであろう。原子力発電のことは、一切ふれられていないのである(もちろんまだこの時点では実用化には至っていないとしても)。
私たちの感覚でいえば、アインシュタインほどの人間であれば、たやすく原子力発電という形での、原子エネルギーの利用について、ある程度想像ができたと思うのだが、どうもそうではないようだ。
しかし同時に、こういう読み方もできる。アインシュタインは、1945年12月10日に、ニューヨークで開催されたノーベル生誕記念晩餐会で次のような発言をしている。
「科学者として、これらの武器によって創り出された危険に対して、われわれは警告を止めてはなりません。」(417ページ)
どうしてここまで言っておきながら、自らの科学的探究の結果発見されたものに対して、十分な注意を払う、という意識をもたないのだろう。私にはわからない。
生み出されてしまってからでは、遅すぎるのではないか。
さらに続けて、こう言う。
「われわれは人類の敵が最初にこの新兵器を完成するのを防ぐため、その創造を支援しました。ナチスの知性にこの兵器が与えられたら、云うべからざる破壊と世界中の全国民の奴隷化をもたらしたでもありましょう。」(417ページ)
広島、長崎の悲劇については、直接的には、語らない。それが、何であったのか、を。文中から読みとれるのは、ナチスほどではないにせよ、非戦闘員が多く住まうかの地への「云うべからざる破壊」が米国によって行われ、その結果、日本中の「全国民の奴隷化をもたらした」のではないか、ということをアインシュタインは何ら気にしていない、ということである。
唯一本書で登場するのは、それから約1年ほどして、ニューヨークタイムズ日曜版のインタビューのなかである。
「広島に対する空襲以前に、指導的な物理学者たちは陸軍省に、無防備の婦人や子供に対してかの爆弾を用いないよう、勧告しました。あの戦争は、それがなくても勝ち得たでしょう。」(451ページ)
自分たちはすべきことは、した、という認識のようである。
以上、第2巻もまた、空振りに終わってしまったようだ。
第3巻には、私と同じような疑問を抱いた人物がいる。次回は、その箇所を中心に検討しようと思う。
なお、前回、書き忘れたが、本書は誤植がいくつかあり気になる。
冒頭の2行目にいきなり句点が2つ打たれている。
「台頭は、、アインシュタインの生活に・・・」
前後に何度も出てくる「ボーア」の名前が1カ所だけ「ボア」になっている(343ページ)
「最も注目すべき貢献をしている一人であるボアに伝えられた。ボーアはすぐさま・・・」
413ページでは「元素」を「原素」としてもいる。
また、翻訳も硬く、直訳調であり、少々苛立たせられる。
「運輸と通信のかかる著しい発展の結果、必然のこととなった利益を確保する為、民主主義の土台に立って組織された一連合体です。」(373ページ)
「大量殺戮用に原子エネルギーを用いることが成功して、突然世界には一つの新しい問題が提起された。この問題に充満している恐るべき内容は、アインシュタインに、人類を破壊と絶命より護る戦後の闘争に当面して、最も活発なある役割を担わせるに至った。」
高校生の英文和訳のような感じである。
***
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