1911年(明治44年)29歳
「田螺公」の俳号で定形俳句を
「山頭火」の俳号で外国文学の翻訳などを発表してましたが
1913年(大正2年)32歳
『層雲』5月号より
「山頭火」を俳号に使い自由律が始まったそうです。
鎖ペンを握って
――三月十九日夜―― 山頭火
『四十女の恋』1913年(大正2年)
△春と共に白楊社が生れた。
あのポプラ若葉のように
すくすくと伸びゆけよと祈る。
△会名の『白楊社』は可い。
『四十女の恋』は本集の内容にふさわしくない。
次号からはもっと適切な名をつけて欲しい。
△勝手な文句は並べるものの、
私は不泣君の労に対しては最大級の感謝を捧げます。
△編輯は順番に為ることにしたい。
各地各人の気分が出て面白かろうと思う。
△歌の数は最近作十首内外ということにしたい。
それでないと
一人で二百首も三百首も出されたとき、編輯者が困る。
そして十首内外ならば
ほぼ、或る纏った気分を現わすことも出来ようし
また最近作として置けば季を限る必要はない。
△歌集留置期限はまあ二三日ということにしてはどうだろう。
二回まわすのだから
その位の日数にしておけば
どんな忙しい人でも充分通読することが出来るだろうと思う。
△互選はせぬ方がいいらしい。
その代りに読後の感想をなるたけ正直に
なるたけ詳細に書いて貰いたい。
(青空文庫作成ファイル)より
(続きます)
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今日も命を授けていただきありがとう (^-^)
二度とない人生
だから 今日が大事、今日が大切
今日もいい日でありますように 【合掌】
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