オーちゃんのミャンマー滞在記

オーちゃんのミャンマー滞在記

ミャンマーでの出来事を綴っていきます。

Amebaでブログを始めよう!

3月22日(月)



 8時に朝食を取る。久しぶりにモヒンガーを食べる。ミャンマーに来て二日目に食べた時よりも美味しく感じた。料理に舌が慣れてきたのか。

 

 そこで本旅行初めて日本人に出会う。沢木耕太郎の深夜特急を読みながらレストランに現れた男性だ。日本の高野山で修行していたという僧侶であった。インドで仏像巡りの旅をした後ネパールに行き、ミャンマーに入ったという。ミャンマーでは知り合いの僧侶の下で数ヶ月修行をするという。かなりフランクな人で、朝から若干の下ネタを言っていたが歴とした僧侶だ。こういう面白い人に会えるのも海外に行く醍醐味だなぁと思った。

 

 その後昨日作ったメガネを取り、SAKURA TOWERに入った。ここはミャンマー二日目に昼食を取った場所である。20階建ての最上階にあるレストランからはヤンゴン市内を一望することができる。前回と同じ席に座りもう2週間が経ったことを思いながら町並みを眺めていた。早いものだ。楽しい思い出しかないような気がした。

 

 昼食を終え、次は国立博物館へ向かった。ここでは公式?のガイドに声をかけられ、600円でガイドをしてくれることとなった。約二時間のガイドは終始退屈することがなかった。インドの時にも思ったが観光地専属のガイドは相当面白い。マンダレー王宮にあった王座や、昔のお弁当箱、金の王冠、本格的な竪琴等々を見た。話を聞いていると主要な物の多くは植民地時代にイギリスに持ち去られてしまったということだ。今ではどうすることもできない過去の事実に唖然とするだけであった。

 

 ホテルへの帰り道にカフェに寄りMyanmar timesを読む。これは以前彼女が記者を勤めていた新聞である。ミャンマーでは高級紙として扱われているらしく、露店などでは販売されていない。確かに日本にある、朝日や読売の英字新聞と雰囲気は際して変わらない気がした。その中に「Myanmar People must be for Myanmar」という見出しのコラムが1ページに渡って掲載されていた。よくよく話を聞いてみると軍人が書いているコラムらしく、この部分は違いの一つなのであろうと感じた。

 

 夜にはシュエダゴン・パヤーに向かった。ここも二日目に一度行った場所である。ただし、今日は夜のライトアップされたシュエダゴン・パヤーを見ることが目的であった。裸足で境内に入る。心地よい風の中、そこは落ち着いた空間が広がっていた。輝くパコダの周りには祈りを捧げている人、食事をしている人、語り合っている人など老若男女がそれぞれの時間を過ごしていた。平和的な雰囲気を感じた。ミャンマーを代表するこのパコダの雰囲気が2週間で旅をしたミャンマー全体の雰囲気を表しているような気がした。

 

 今日一日でミャンマーに来て早々のことを振り返ることができた。明日は観光最終日。この感じでゆっくり回りましょうか。

3月21日(日)



 朝8時に彼女の家族と待ち合わせて、レストランへ向かった。ココナッツ風味のヌードルをいただき空腹を満たす。ミャンマーでの朝食もそろそろ慣れてきた。

 

 その後ボーヂョーアウンサウン・マーケットというヤンゴンで最も大きいと言われるマーケットへ向かう。父に頼まれた竪琴を購入するためだ。彼女の母がマーケットの人々に売っている場所を尋ね、楽器店に行き着いた。店内には竪琴が5~6個展示されており、それを自由に手にとって見ることができた。大きさ順にならんでおり、一番小さな物がお土産として丁度良いと思ったが、店主から飾り物だと指摘されたので、一番大きな物を買うことになった。大きさはギター二本分位であろうか。


 そもそも、父はどうして竪琴の購入を私に頼んだのかというと、父の趣味であるお遍路に持って行き、映画ビルマの竪琴に登場する、出家したお坊さんのごとく歩きたいというのだ。本来ならばそのような趣味に付き合ってはいられないのだが、ミャンマー行きの際にお小遣いをはずんでもらったので、竪琴購入は避けることはできない。得てして竪琴を購入し、段ボールに包んでもらい帰国まで彼女の家に保管することになった。

 

 そして、ズボンを二本購入した後に、メガネを作りに行った。新しいメガネが欲しいと前々から彼女に話していたため、ミャンマーで買うことを促してくれた。自分が欲しいと言っていたにもかかわらず、ミャンマーで視力検査をすることに何かおかしさを感じた。店内に気に入ったフレームがあったので購入を決めた。

 

 その後コンピューターの展示会があるということでそこに向かう。特に何も購入しなかったが、日本メーカーの展示が東芝とSUZUKIのみしか見ることができなかったことに、なんだか残念な気持ちになった。それにしてもSUZUKIってパソコン作っていたんだなぁ。

 

 さらにショッピングを続け、ワイシャツ的なものと靴を一足購入してここで今日のショッピングは終了。時計を買おうと思ったが少し値が張ったので、1日考えることにする。

3月19日(金)



彼女の家族と一緒に行動する旅行が今日で終わった。約一週間一緒に過ごさせてもらい、ミャンマー人の優しさをとても感じることができた。お腹の調子が悪いと言えば、すぐに医者に電話をして薬を選んでもらったり、食事もミャンマー料理を味合わせてあげようと自分が頼んだものを分けてくれたり、観光地を英語の良く分からない私に嫌気がさすことなく説明してくれたりした。感謝だなぁ。



今日はマンダレーの街を家族で歩いた。朝7時30分集合で、街の食堂で食事を済ませ、そのまま旧王宮へ向かった。外敵の進入を防ぐために、外堀に水が貯めてありとても涼しい。雰囲気は日本の皇居回りに似ている。正方形の形をしていて、一辺が約4マイル(6.4km)だという。とすると一周約25km。長い!!これじゃぁランニングはできないなぁなどと考えながら進んだ。

 


その後マンダレー一大きなショッピングセンターに向かった。服やお菓子が高く積み上げられていて、日本のドンキホーテを感じさせる場所だった。彼女は日本の友だちにミャンマーの服を購入していた。私は特に買うものはなかったので買い物風景を眺めていた。

 


ホテルに戻り3時まで休憩し、今度は別のショッピングセンターへ行く。1階にあるカフェに入りケーキとコーヒーを食べた。久しぶりに食べ慣れたものを食べたのですごくほっとする。

 


17時30分のバスでヤンゴンに向かう。約12時間の行程だ。出発前にホテルのフロントで流れていた音楽はこの旅を今一度思い起こさせた。その音楽だけでなく、ミャンマーで流れている音楽を聞くとなぜか懐かしくなる。まるで日本の80年代の音楽を聴いているかのような感覚だ。

 


バスに乗り、これで旅行も終わりかと思ながら景色を眺めていた。道路には相変わらず日産、トヨタ製の車と、日本から輸出されたであろうバスが走っていた。いつもならば、日本の昭和的価値観(またそれを持つ人)を敬遠する私だが、その時はこれまで築き上げてきた日本の先輩達の偉功に感謝と尊敬の念が沸いた。

 


また、道路を裸足で走っている子ども達を見ながら、どんなに貧しい国でも人々は楽しそうに生きているんだなぁ。と、すごく上からの目線で恐縮してしまうが、思わずにはいられなかった。

 今日はゆっくり眠ろう。