来世と自分意識 | のこしたいもの

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人が死んでも体はどこかで誰かになって生まれているのでしょうが、この世には生前の自分と全く同じ心の持ち主などいません。心は脳で紡ぎ出されるのだから体が死ねば心も消えて無くなります。
 

「生まれ変われるのなら◯◯のような人に生まれ変わりたい」という人々の思いは,その人が死んでしまうことが前提になっていますが、生まれ変わりたいのは◯◯の姿形ではなく◯◯の心なのでしょう。

 

死ねば人間に生まれ変わるとは限りません。鳥、魚、犬・猫・蚤・虱・・・・・何になるか分かりません。でも心は、人がこの世に生きている限り誰にでもあり、持ち主は間違いなく人間です。
生まれ変わりたいのはその人の身分、食業、裕福さ、男女、老若などではなく活き活きと活動している人の心です。

 

自分という意識は生きている人だけにあり、人間以外の生物には無いと思います。

生きている人が来世に願うのは、生まれ変われるものならば「このように生きたい」という思いに支えられた心・意欲を持っている人でありたい、ということでしょう。

 

生まれ変わりたいのはその人の在りようではなく、活き活きとした心・気持ちです。

そういう人は、世間の動きに弄ばれない「心」の持ち主で「赤ん坊の心」が重しになっています。

 

そういう思いが「大人の心・自分意識」なのだと思います。