心身二元論(2) | のこしたいもの

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「心と体は別物」ということは、心で考えていることは必ずしも行動に表れない、ということでしょう。自分の思い・心は体の状態とは別に思いを優先させる時も、させない時もあることになります。

 

デカルトの言葉に「我思う故に我あり」と言うのがあります。

私は、思い・心は体があって初めて生まれるものであり、心は人それぞれだと思っています。

デカルトは17世紀の人物。当時、人々の心はキリストの教え以外に入り込む余地はなく、彼らの行動はキリスト教に支配されていたと思います。

 

では、キリストの教えに多少なりとも外れている人はこの世にいる場所はないのでしょうか。全ての人がキリスト教徒であるはずはなく、異教徒もいるのだからそんなことはあり得なません。

心が何に支配されていても、生きている限り人・体は社会の何処かで生きています。

 

単純に考えてこの言葉は、(キリスト教)社会を前提にして心が物事を考え、その考えを基盤にして行動する体がある。だとしても異教徒がキリスト教社会では身の安全は保障されないと言うのはおかしい、ということと思います。

 

二元論を唱えたデカルトは偉大だと思いますが、現代に生きる我々日本人はモノにも物にも神が宿ることを受け入れてきた歴史があります。特定の人物(?)を神のように考えることには馴染んでいないし、将来も馴染まないと思います。