心身二元論(1) | のこしたいもの

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今年になって「哲学と宗教(出口治明 著)」という本を読んでいます。500頁に及ぼうかという著作ですが、ひとつ気になっているところがあります。

 

行動は心の表現ということを疑うことなく生きてきた私ですが、その根拠は何かと言われるといささか心もとありません。と言う訳で、神が居るいないにかかわらず体と心は別物(?)という心身二元論のことについて一言。

 

今でこそ、神も仏もいる訳がない、と多くの日本人は思っています。でも一昔前、人々は自分の話すことは正真正銘自分そのもの、意思表明と思っていたに違いありません。思っていること、考えていることの実現を目指して日々生きているのだから自分の言葉に嘘はないはずです。

 

そもそも生物が動くのは、何らかの目的があって、それを実現するためです。

 

もし心が体そのものだとしたら、心は体の状態が悪くならないようにしようとするはすです。

 

例えは良くないのですが。正義のために捕らわれ迫害されているにもかかわらず体に受ける損傷をものともせず正義を貫く、と言う話は多々あります。なぜ自分の命を顧みず自分の主張を曲げないのでしょうか? 

 

私は、生物の生物たる所以は、自分の思いに従って動き生きるところにあると思っています。モノは、水が落下して水しぶきになるように、他からの作用を受けて動かされます。

 

でも生物は、雨風に逆らってでも自分から動きます。そのために、生物にとって一番大事なことは体が死んでしまわないことです。                        つづく