6 まとめ | のこしたいもの

のこしたいもの

ブログの説明を入力します。

ここまで考えてきて明らかになったのは、人類が「食われないで食う唯一の生物」になって人口を増やし続けている事です。
動物を支配しているのは「食わないことには生きてゆけない」という当たり前の事ですが、「決定的に重大なこと」が「当たり前」の上に成り立っています。
例えば、

●「生物」と「物」の決定的な違いは「動く」か「動かされている」かですが、生物の死骸は明らかに「物」です。これが「他からの作用を受けて動く」ことが「生物は物の一種」とする根拠になっています。

●「自ら動く」生物には動かしている何かがあるはずです。それが気・心で、全生物に備わっていて生物を動かしています。

●思いのまま動く生物は、自分ではどうにもできない「何か」に支配されています。例えば、脳・心臓・肺などは人間の体の一部分として生存を支えていますが、自分では制御できません。「何か」とは、自分が制御できないものです。

●食い殺されないで寿命を終えるのが生物の唯一の生きる目的だったのですが、人類は農耕牧畜を開始して様々な生き方をする生物になりました。

●植物は光合成して自力でエネルギーを生み出していますが、葉緑素を持たない動物は他の生物を捕食して生きるエネルギーに変換しています。それが食物連鎖を成り立たせています。農耕牧畜を開始して食い殺されなくなり、人口を増やし続けている人類も、食物連鎖の掟から解放されたとは思えません。増えすぎた人口が地球温暖化の大きな要因になっているからです。食物連鎖に代わる制約だと思います。

●生物は「子孫を残すことで」種を維持しています。しかし見方を変えると、子孫の誕生は生物全体の食料を生産していることでもあります。

等のことがあげられます。

 

食物連鎖について

食物連鎖は草食動物の誕生以降約8億年、機能し続けています。
草食動物が増え続けると、彼らの食料である植物は増えることが出来ないので、草食動物は一定の数に限られてきます。動物の食料の行方を辿ってゆくと、多様な生物種は、ある平衡状態に落ち着くというのが食物連鎖の仕組みなのでしょう。では、個体数が増え続けている人類が人口の上限を迎えた時、世界はどうなっているのでしょう。食料となる生物の数が一定に保たれているのだから多分、人口の上限を維持し続けることはできないでしょう。従って、いずれ人口は減少し始めると考えるのが妥当です。それにしても頂点捕食者としての人類は個体数が多すぎます。

 

個体数減少の原因は食料が足りなくなるからです。さらに、人類が適切な人口を維持できるかどうかは食料問題の他に地球環境の悪化が重なります。適切な人口を維持する可能性について、障害が食料問題だけであれば、人間が生存できる範囲で人口は変化できるでしょう。でも、問題が、地球環境全体に及ぶならばそうはゆきません。人類は死滅の危機にさらされると思います。


2億数千年前に起こったとされているペルム紀をも乗り終えた生物ですが、人類が向き合っている壁は人為によるものです。
食料問題にしても環境問題にしても原因は一生物種である人類が引き起こしているものです。自分が蒔いた種が原因となっているのだから種をまくのを止めれば危機は回避できるのではないでしょうか。

人類が食物連鎖の束縛から逃れて食物連鎖の外に出たとは思えません。

食物連鎖の仕組みの外に出たのではなく、立ち位置が異質な状態になっていると考えた方が自然です。

 

在り続ける事について

生物が「物」の一種だとしても死を無抵抗に受入れる生物はいないでしょう。子孫を残すことで短い寿命を つないでいることをみても、生物がこの世から消滅してしまうことを望んでいないことはよく分かります。

生物が死ねば死骸という物になります。地球誕生時に生物は存在せず、地球は物だけの世界でした。無からは何も生じないのだから生物は物の一部、一種なのだと思います。でも、物には有機物も無機物もあるのだから、生物の体を作っているのが物の全てということではないでしょう。物の一部が生物の体なのです。

 

地球・太陽系・無数の星々が消滅するとしたら宇宙空間がなくなることになります。138億年前に誕生したとされ、現在もあり続けている宇宙。星々があるのは、宇宙をも操る我々の「想像を超えた何か」が何処かにあるのでしょう。
「物や生物が存在し続けようとするのは何故か」などと考えるだけ無駄に思えます。

 

人類を他の生物と決定的に違う生物にしたのは人類が「食の安定」を確保し、食い殺されない生物になったことです。人類は「食い殺されないで寿命を迎える」という生物の一つしかなかった生き方から脱し、様々な生き方をするようになり、人口を増やし続けているのです。
科学技術の発展・日常生活の「便利」の向上などが人口増加の要因でしょうが、原因は人類が農耕牧畜を始めたことにあり、取り除くことはできません。

 

人口が過剰にならないかぎり問題は表面化しませんでしたが、産業革命の浸透を機に人口は爆発的に増大し、地球環境を人類の生存を脅かしかねない状態にしています。
自然破壊、水質・大気汚染、災害、食料問題、全ての原因は人口増加にあります。食われないで食うにしても食料となっているのは同じ生物であり、無限にあるはずはありません。人工食料が普及しているとも聞いていません。

 

生物界という視点からみると人類の心のあり方・生き方は異常なのでしょうが「人類に未来はない」という訳でもないと思います。

生物は38億年にわたって地球に生存し続けています。ペルム紀のような危機的な状況を経て、死滅した生物種も無数にいたと思いますが、生物は生き残っています。気候をはじめとする自然環境の変化があっても環境に適応した生物が必ずいて、生物は死滅していません。
それらのことを考えると生物が地球上にあり続けていることを驚かざるを得ません。

 

約七百万年前に誕生した人類の歴史は38億年にわたるとされている全生物の歴史から見るとほんの一瞬のことです。人類が他の生物を排除して唯一の生物になる、などあり得ないことです。生物があり続けるとしたら強すぎる生物種が死滅する以外にないと思います。

「食の安定」を確保した人類は欲望に振り回され「便利な生活」に取り込まれています。人類が生き残るには何事も限度を超えて求めなければ良いだけのことです。
「生きろ!」という気の命令をどのような「生き方」で実行するかに人類の生存がかかっていると思います。

 

子孫を残すことで短い寿命をつないで種の存続を計ることが生存するための生物なりの表現だと思います。しかし、限られた寿命をどう生きるかは生物種・生物個体それぞれに託されています。人類以外の生物は食い殺されないで寿命を迎えること以外に生き方はありません。ところが人類は他の生物と捕食し合うことなく食料を自力で作り出すことに成功し、生き方が沢山できました。その生き方は有史以来の人類史に表されているとおりです。

 

様々なことを思い巡った結果明らかになった結論。

人類は右肩上がりに個体数を増やしてきました。いずれ人口増加は上限を迎えるのでしょうが、どうして上限があるのでしょう。生物は限りがある物の中で生きているからに他なりません。食料である生物も我々の生活を支えている自然資源も無限にある訳ではないのです。

なぜ我々は、限りない欲望に振り回されて生きているのでしょう。
私は農耕牧畜によって「食の安定」を得たことが人類の現在を築いたことだと思っています。食の安定が、人々に有形無形の様々な欲望対象物(地位名誉・金銀財宝)を求めてやまないものにし、生きる活力となってきました。
食が満たされない限り出てこないのが「欲望」だと思うからです。

 

我々はどこかで「欲望と便利」と折り合いをつけなければなりません。でないと、我々はこの世から消えてしまいます。

 

生物(人類)生存の基盤になっていること。

1 世界は思いのままに動く「生物」と他からの作用を受けて動かされる「物」で成り立っていますが、全生物を動かしているのが「気・心」です。

2 成長のエネルギー源は植物では光合成、動物では捕食行為であり、動物の捕食行為が食物連鎖を成り立たせています。

3 農耕牧畜を始めた人類だけが数多くの生き方をするようになりました。
 

目次へ