天皇とマツリゴト | C.I.L.
2007-12-20 07:15:07

天皇とマツリゴト

テーマ:歴史

何気なく 「天皇が持っていた力ってなんなんだろう?」 とうすらぼんやり考えていたら、なんだか頭の中が急にスッキリしたので、この機を逃さずダラダラと書いてみる。


何度か似たような題材の記事は書いているんだが、とりあえずおさらいをしておこう。



そもそも天皇とは、"多民族国家" である日本の "調停者的存在" として生まれた。(とオレは思う)


旧石器時代から縄文時代、さらには渡来人が多く流入した弥生時代と、日本には土着の民族と渡来人とがごった煮になっており、様々な民族が存在していた。


弥生人とは=渡来人で、今の日本人の殆どは遡ると弥生人になるという説があるのだが、オレはその言い方はちょっと乱暴過ぎると考えている。


そもそも弥生人とは、渡来人とそれ以前に日本に住んでいた土着民との間に生まれた "混血民族" の事を指すべきじゃないかと思うのだ。


というのも、弥生時代前期頃の遺跡や数々の出土品、それに縄文人や弥生人と思われる人骨の調査・研究により、以下のような事が明らかになった。


・縄文人の特徴=丸顔で身長が低い

→東日本の遺跡で特に多く発見された

→東日本には縄文人が多かった


・弥生人の特徴=面長で身長が高い

→主に北九州周辺の遺跡から多く発見された

→西日本には弥生人が多かった


・弥生人とされる人骨の特徴は、中国の北部や朝鮮半島の南の辺りで発見された人骨に近い

→稲作の形跡が見られる遺跡からは弥生人の人骨が出ている

→弥生人とは稲作文化を伝えた渡来人だろう


と、ここまでは普通に教科書なんかにも載っているお話。


ところが最も注意すべき点はコレ。


・弥生時代前期の弥生人の特徴を持つ人骨は殆どが男性である

→同時代の同じ場所から出た女性の骨は縄文人の特徴を持っている


これから何がわかるかというと、稲作文化を伝えた渡来人(♂) が、土着民である縄文人(♀) との間に子をもうけ、【渡来人と縄文人の混血民族=弥生人】 が誕生したのではないだろうか?という事だ。


なんで渡来人が男ばっかだったのかという点について正確な事はわからないのだが、恐らく中国や朝鮮の政変で逃げざるを得なかった人がいたんだろうとか、冒険心を刺激されて海に出ちゃった人がいたんだろうとか、"異常なまでに女性が少ない" という点から色々と想像はできる。


で、こうして発生した混血民族である弥生人は、それまでの日本土着の民族である縄文人よりも、まったく比べ物にならないスピードでどんどん増えていく。


・縄文人的な狩猟生活よりも、弥生人的な農耕生活の方が食料も収入も安定する

→より多くの家族を養える

→生活のために土地を守る事が何より重要になる

→しょっちゅう戦争が起こる

→戦争に勝つためにも、とにかく人口を増やす必要がある


この辺が弥生人の人口増加の理由だろう。



実際にその辺の人口問題について詳しく調べた学者さん達がいて、その結果このような驚くべき結論が出ている。


<日本の総人口>

・縄文時代中期=約26万人

・縄文時代後期=8万人弱(7万とも7万5千とも)

・弥生時代前期=約60万人


■参考リンク

http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1150.html


縄文時代中期から後期にかけて、寒冷化の影響で東日本の食糧事情が悪化し、そこに疫病の蔓延などが重なり、26万人いた人口が7万人程度にまで激減するという一大事が巻き起こったそうな。


しかしそれが弥生時代に入ると急激に人口が増え、多く見積もっても8万人しかいなかった "日本人" が、60万人にまで急増しているのである。



ここでもう一つ面白いデータをご紹介する。縄文時代後期の日本の人口分布に関してである。


・当時の総人口の90%近く=東海~関東~東北

・当時の総人口の約10%=近畿~中国四国~九州


■参考リンク

http://www.kodai-bunmei.net/blog/2006/10/post_12.html


リンク先の図は小山修三氏という方の研究結果を元にしたもので、これを見ると縄文時代の西日本は殆ど人のいない地域だった事がわかる。


それが北九州から弥生人が発生して以降は、まず九州から近畿地方にかけての西日本の人口が急激に増大し、その人口増加の波は関東地方にまで及ぶ。


これは神武の東征とか、天津神と国津神の争いといった伝説の内容にもの凄く近い。(とにかく西から東へ!みたいな)


恐らくそうした伝説は、弥生人の勢力が次第に大きくなって、弥生文化圏が九州から近畿~関東地方に広がっていった事を表しているんだろう。



と、ここでやっと天皇の話に移れる。


まずこうした縄文時代~弥生時代にかけての渡来人と土着民の混血(=新たな民族の発生)、そして人口の急激な増加といった背景があって、近畿地方を中心とした西日本で大和朝廷(=日本) の成立を迎える。(この辺の話を掘り下げすぎると失禁しそうなレベルの長文になるので割愛)


成立当初の大和朝廷は、九州地方の部族と、中国地方の部族、四国地方の部族、そして近畿地方の部族が "同盟に近い形" で合体したものではないかと考えられている。いわば合従ないしは連合といった形で複数の部族が寄り合って作られたのだ。


こうして出来た "異なる文化を持った異民族の連合体" としての大和朝廷をまとめあげるには、何かしらのカリスマ性を持った人間が 「あっちを立ててこっちを立てて」 と調停者になるしかない。当時としては単純に武力で独裁的な支配体制を敷いてしまうのが近道だとは思うのだが、日本では何故かそうはならなかった。


中国の文書には "倭国大乱" といった記述があって、国家成立前後の日本で大きな戦争が相次いで起こっていた事がわかるのだが、敵対する部族を滅ぼすような、いわゆる "完全なる勝者" はいなかったようである。


というのも、大和朝廷の中枢である近畿地方で発見された遺跡や古墳、そこからの出土品には、上に挙げた各地方独自の特徴が少しずつ盛り込まれているからである。(この部分は北九州っぽいとか、あの部分は出雲っぽいとか)


それによって、戦争だけではハッキリした決着がつかず、異なる文化を持った部族が互いに妥協点を探り合い、最終的に一つの大きな力としてまとまったのが大和朝廷であると想像できる。(ある文化が消滅しているのではなく、吸収されて行っているのがポイント)


こうした点から、古代日本において天皇こそが国家の頂点だった事は間違いないが、だからといって強力な武力を持って支配していた訳ではない事がわかる。


もし他を押さえつけて独裁的な統治を可能にするような武力があったなら、勝者による自分達の文化の押し付けと、敗者の文化の否定と破壊が起きていないとおかしい。露骨に 「妥協しました」 的なやんわりとした吸収のされ方は有り得ないのである。(特に古代における埋葬文化なんか簡単に妥協できるもんじゃない)


では強い武力を持たない天皇がなぜ国家の頂点に立てたのか?


大和朝廷は各部族の微妙なパワーバランスの下に辛うじてまとまっていたという点も大きいとは思うが、オレはちょっと妄想を膨らませて、天皇こそが日本に新しい技術を伝え、爆発的な人口増加のキッカケを作った渡来人の、直系の子孫だったんじゃないかと思う。


日本には何度かにわけて多くの渡来人がやって来たと思うんだが、その中でも特に役立つ技術を伝えた部族、安定した食糧供給を実現してくれた部族に関しては、口伝という形で後々まで語り継がれていた可能性が高い。


天皇がそうした一族の子孫だとすれば、多くの人に "豊かにしてくれた恩人" として敬われてもおかしくはないんじゃなかろうか?古代の事だから、話に尾ひれがついて 「あの一族には霊力がある!」 なんて噂されていたかもしれない。


こう考えると、古代の天皇が 「強い呪力を持つ存在」 として認識されていた理由や、複数の部族を取りまとめる調停者としての役割を果たせた理由もなんとなくわかるかなと。(強引だけど)


例えば気に入らない人間と喧嘩しようとしている時に、頭の上がらない恩人が間に入って 「まあまあ」 と言ってきたら思い止まるじゃん?ようはそういう事なんじゃないのかなと。



で、「天皇は調停者だ」 と言っても、人の間に入って 「まあまあ、アンタもそんなこと言わんと」 なんて言うだけでは国は治まらない。国家の頂点に立つ者として、具体的にどのように日本を治めていたのかというと、"マツリゴト" によって治めていたのである。


■参考リンク

YAHOO!辞書=まつりごと

「祭り事」の意。上代では祭政一致であったところから国の主権者がその領土・人民を統治すること。政治。政道。

マツリゴトの語源には色々な説があって、辞書などで広く言われている "祭る・祀る(マツル)" であるとする説の他に "奉る(タテマツル)" であるという説もあるのだが、オレはそのどれもが正しいんじゃないかと思う。


まず天皇は日本で最高の呪力を持つ者として、八百万の神を祀り、怨霊を封じ、日本を平和に治める。これが天皇の義務としての祀りごと(マツリゴト) である。


そして臣下はそんな天皇の呪力を敬い、畏れ、奉仕する=仕え奉る(ツカエ-マツル)。


さらに民は平和な世を維持してくれている国家に対して税を納める=奉る(タテマツル)のだ。

これら三者三様の "マツル" という行為が、古代日本を動かすシステムとなり、後に政(マツリゴト) と呼ばれるようになったのだろう。


<古代日本のマツリゴトシステム>

天皇←有力部族(臣下として仕える、もしくは天皇という地位を認める)

天皇→有力部族(官位を与えるなどして地位を認める、利権を与える)


有力部族←民(労役を果たす、税を納める)

有力部族→民(生活を保障する)


このように実際には民に対する直接的な権力は各地方の有力部族が握っていて、それが蘇我だの物部だの、ちょっと後の時代だと藤原だのといった一族であり、天皇はそういう連中に仕えてもらう形で国家の頂点に座っていたのである。これはそれぞれが依存の関係にあって成立していたシステムだと言えるだろう。


という事は、このような相互に依存する関係が壊れた時に、容易く地位を追われてしまうのが天皇だとも言える。


日本の天皇家は万世一系だと言われているが、大勢の学者が指摘しているように、実際には何度も王朝が交代している。ハッキリ言って、初代とされる天皇から (何らかの形で) 血が繋がっているのかどうかも怪しい。


しかし、こうやって 「そもそもの天皇という存在は何だったのか?」 を考えると、実は血の繋がりというのはどうでもいいと言えばどうでもいいのだ。


最初こそ何らかの血の説得力があって天皇という地位に就いたのだと考えられるが、天皇の存在意義はそこにはない。上で説明した "マツリゴトシステム" という名の相互依存の関係を保つ事こそが、天皇の最も重要な役割だからだ。


そう考えると、現在の "日本の象徴としての天皇" という立場は、古代の天皇のポジションにとても近い。


・なんだか知らんけど有り難い血を引いてる人らしい

・なんだか知らんけど歴史の古い一族らしい

・なんだか知らんけど政治家とは違った意味で力を持ってるっぽい


こうしてみると、まさに初代天皇が天皇という地位(正確にはオオキミ) に就いた時の国民感情そのものじゃないかとも思えてくる。


万世一系なんて嘘だとか、天皇なんて元は朝鮮人だとか、現代社会で皇族なんて存在価値がないだとか、色々と皇室を攻撃したがる人間は多いが、誰が何と言おうと、何を画策しようと、天皇は天皇としてのポジションをず~~~っと守り続けているのである。


むしろ今の立ち位置こそが、正しい天皇の在り方だったりするのだ。



それに古代日本のシンプルな "マツリゴトシステム" を考えれば、今現在の日本のどこに問題があるのかハッキリ理解できると思う。


天皇←有力部族(臣下として仕える、もしくは天皇という地位を認める)

天皇→有力部族(官位を与えるなどして地位を認める、利権を与える)


有力部族←民(労役を果たす、税を納める)

有力部族→民(生活を保障する)



さて、今の日本で "マツリゴトシステム" を崩壊させている、いわば天皇陛下に無礼をはたらいているも同然な不埒者は誰なんだろう?




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