2022年も明日が最後ですね。いかがお過ごしですか?
必死に駆け抜けた一年だったように感じます
。
伴奏してくださった皆さま、ありがとうございました。
本当は一人一人にお礼申し上げたいところですが、この場をお借りしますことお許しください。
様々なところでプレゼンとして発信させていただいておりますが、今までブログでは詳細なことは
書かずにいましたが・・・振り返りとして記載します
。
こども食堂というとどこかひっそり行うイメージがありましたが、東京ディズニーランドのような
また行きたい!何か夢があるそんなこども食堂にしようと取り組んでまいりました。
どの家庭に生まれてもすべてのこども達の未来が守られる世の中であって欲しいからです![]()
OHAOプロジェクトを立ち上げた理由や代表の諏江のことを少しお話しようと思います。
かなり勇気を出して書きます
。
私は中学生の頃、NHKの「澪つくし」というドラマ音楽を聴いて感動しました。なんて素晴らしい
音楽なんだろうと。ドラマも何度も見て、セリフも覚える程でした。
NHKに感動した気持ちを沢山綴り手紙を送ったら、楽譜のお返事をいただき、
顔が見えない状態でも温かい気持ちのこもった返事に夢をいただきました
。
その楽譜をアレンジし、毎日演奏し、日々に希望をいただきました。
あの楽譜に自分でコードを付け、何度もピアノで弾きましたし、ヴァイオリン用にもアレンジ
し
私の子供時代は音楽三昧でした。小学5年生からFTVジュニアオーケストラに毎週日曜日通う日々で
あの頃弾いた曲は今聴いても体全身にパワーが注がれほど、音楽に支えられていた青春時代でした。
受験対策を全くしていなかったので、推薦で入れる音楽大学に入学し、その後、やはりNHKの
ドラマ音楽で感動した映画放送音楽が忘れられず学び直すことを考え、某音楽大学の講習会に
参加し、そこでその後私の人生で大きな影響力をくださる作曲家の先生に出会いました
。
その先生のお陰で学生の期間の2年間NHKのレコーディングスタジオに通う日々をいただきましたし
音楽大学で学ぶ機会もいただきました。毎回終電がなくなるほどで学生時代はあっという間に
終わりました。
レコーディングだけではなく、撮影現場や編集の現場、また作家の先生や演出家の監督さんにも
お世話になり、職員の野球大会にも参加させていただきました。ドラマがどのように作られるのか
その背景でどれだけのスタッフが関わって、一人一人も思いのこもった作品で今でもドラマを
見る時は台本とそのテーマの曲など背景も考えてしまいます
。
振り返ると恵まれた環境であの時に共にした皆さまは音楽界を先頭で牽引している方々と普通に
会話ができる環境で、一緒に学ぶ学生の中にはその後、大活躍している方もいました
。
そして先生に学び直すために音楽大学に入るより、現場に入ったほうが良いとスタジオ
ミュージシャンの先生方にもアドバイス頂き、先生の紹介で音楽制作会社でディレクターとして
レコーディングスタジオに入るようになりました。
自分自身が企画して商品ができたり、サントリーホールで演奏会の準備をしたり。
でもNHKに通わせていただいた期間の感動が忘れられず、どうしてもあの感動をもう一度と思い
紹介してくださった先生に挨拶し、転職し、フジテレビに9年勤務しました。
今まで学んだ経験を活かせる仕事ではありませんでしたが、テレビが作られるまでの工程や
スポンサーさんとの関係など学ばせていただきましたし、ここで短い時間内でTV局のことをお伝え
するために伝える技術や喜んでいただくにはどうしたら良いか?今に活かされていると思いますし
今OHAOは支えていただいます。
このOHAOプロジェクトというのも実はフジテレビの国際局にいた方が名付けてくださいました。
恵まれた環境で働かせていただきましたが、いつも助けられてばかりの自分自身を鍛えようと思い
言葉も文化も知り合いもいないニューヨークで仕事をしようと、本当は渡米するために退社する
予定で壮行会までしていただきました。飛行機のチケットも1ヶ月前に迫りました。
しかしテロの後で、契約書に記載されていた「こどもを産んではいけない
」という部分に、
当時30-40代の女の時間を良いのだろうか?と悩む自分自身もいました。
ニューヨークは逃げない。この限られた時間を大事にしようと自分自身で決めて、
渡米せずに結婚をして、かけがけのないこどもに出会わせていただきました
。
自分自身が自立せずに結婚したので、結婚生活を全うすることはできませんでしたが、
娘に出会わせてくれた人であり、出会いには心から感謝しています。
支えてくれている親族に心から感謝しています
。
ニューヨークのボスももうこの世にはおらず、時の流れで出会わせていただいたご縁をしみじみ
感じています。
しばらくは憧れだった専業主婦をいっときしましたが、今まで休む間もないほど動き回っていた
自分自身が家にこもると、自ら不安に中に入り込むような時間の使い方をするようになりました。
しかし友人から声をかけていただき、医療機関をお手伝いするようになり、東日本大震災時、
私に看護師になることを薦めてくれた医師に支えていただき、娘を奥様が孫守りのように世話して
くださり、私は働く環境をいただきました
。
振り返ると私自身が社会に大変助けられていた人生で、今現在もたくさんの心ある方々に支えられて
生きています![]()
。
新型コロナウイルス感染症が社会問題を浮き彫りにしました。
私は一新塾に入塾し、第48期「こども、高齢者と動物が良きパートナーになれる共生社会を」で
チームエントリーをし、素晴らしい先生方や仲間に巡り合いました。
今、現在も支えていただいていることに心から感謝しています。
親と縁の薄いこども達と関わり、当たり前が当たり前ではない現実を知りました
。
どんなに愛情深く職員が関わっても、施設を退所した後は高い確率で負の連鎖があることが
わかりました。必死に私に訴えてくれていた赤ちゃんの声も視線も抱きしめた感覚も今でも
忘れることができません
。
最初は里親になろうとしたり、里親協会の勉強会に参加したり、乳児院で働こうとしたり
アクションを起こしましたが問題解決には遥かに遠い難しい問題で、介入するには何年も
かかることがわかりました
。
養育里親の廣瀬タカ子さんから社会で深い愛情でこども達と向き合うことをチームで
学ばせていただきました
。
私自身もいつも誰かが助けてくれる人生で、頂いたご恩を直接お返しできれば良いのですが、
私たち親子を助けてくださる方々は「同じように誰かのために返せるように」と寛大な方が多く、
ペイフォワードのような社会であればより良い未来になるのではないかと私自身の人生を振り返り
思いました
。
感染症の決まりを守る高齢者は家族も家には入れず、誰にも会わずに自宅で亡くなっていると
いうことも多く、また飼っていたペットが殺処分されるという流れに、なんとかこのような
最期を迎えずに済んだのではないかと考えさせられたということが一新塾に入塾するキッカケでした。
そして想像を超えるコロナ感染症の期間が長く、若者たちの生きづらい世の中、誰にも相談できずに
追い詰められた若者たちが多い世の中を救命救急センターにいると人間のドラマに出会います
。
今はどん底にいる気がしても、明けない夜はない。必ず、振り返ったときに当たり前の日々は実は
奇跡なんだと、笑える日が必ず来ると信じて、眠れない夜はどうか戦略を練る時間に変えて欲しい![]()
月に1度のペースですが、コミュニティが心を温かく包み、次また会える日まで、
どう喜んで貰おうか、こども達の笑顔を楽しみに、そして少しでも子育ての息抜きや
明日も頑張ろうって思ってもらう時間になればいいなと、高齢者の方も若いこども達と
関わりからほのぼのとした時間を過ごしていただきたい、そんな思いで企画しています
。
振り返るとコミュニティ医療としてこども食堂を初めたのは7月のこと。ウクライナ避難民の
皆さまと開催し、ウクライナには熱中症がないことから熱中症対策学習を行いました。
団体には色々ルールがあり、継続する関わりは難しい状態でしたが、皆さんが日本で笑顔で過ごして
いるといいなと願いながら過ごしています。またいつでも遊びに来てくださいね
。
最初は3月に六本木中学校でこども食堂を行う予定で動いていました。日常のコミュニティが非常時の
セーフティネットとして、防災に備えて避難所と変わる学校で行うことが大事だと思ったからです。
しかし学校で卒業式もできるかわからない時期、また外部から人が入ることはこの時期避けなければいけないということで、時の流れは動きを止め、関わってくださった皆さまには大変ご迷惑をお掛けしてしまったと思います。
それまで純粋にこども達の未来を応援し、より良い未来のために力を貸してくださった偉大な
教育者の皆さまに支えていただいたこと、感謝しておりますし、貴重なお時間を割いてアドバイス
いただいたこと、決して頂いたご恩は忘れません![]()
。
必ず世のため、人のために活動を通して、恩返しをできるように努めます。
また東京商工会議所のゼミを通して、渋沢栄一翁の残された功績から学ばせていただき、勤務する
東京済生会中央病院は渋沢栄一翁が設立に携わっていますので、一つ一つの行動を精神
を引続ぎ
学んだ学びをより良い未来に繋ぐことができるように、相談に乗ってくださった創業ステーションの
先生や商工会議所の方々を含め、心から感謝しております。
2022年は様々なチャンスをいただきましたし、一歩踏み出していなかったら出会えていない方々に
出会い、ワクワクする時間をいただきました。よりより未来のために、一緒に考えてくださり
ありがとうございました
。
院長室で志をお伝えし、雇用形態を変更しました。雇用形態を変更したらボーナスがなくなって
しまったので、救世主であるSOMPOのお陰で社会貢献をすることができています。
心から感謝しています。SOMPOも全国でこども食堂を展開するようになり、共により良い未来へと
活動している同志として応援しています。共により良い係りになるように努めます![]()
![]()
今、中学生の頃に感じたあのワクワクが蘇り、こども達と一緒にワクワクする取り組みを企画し
出会ったスペシャリストの皆さんと叶えることができること自体が夢のようです。
こんな素晴らしい奇跡をくださった神様に心から感謝しております。
来年は1月21日新年ですので、ビンゴでまた子ども食堂ならではの贈り物を考えています。
2月は世界的なハーモニカニストがこども達と楽しい企画を考えてくださっています![]()
暗闇にいるときはすぐに夢や希望に出会えないかもしれないけど、でも関わる人で人生変わると
信じています。夢をもって生きている大人やその環境があれば、必ず光は見えてくると思います。
だから、私は関わる人も大事だと思っています。
ならぬことはならぬものですの教えで私は育ちました。正しい人と正しい取り組みで、
コミュニティを構築していきたいと思っています
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大変長くなりました。本年大変お世話になりました。
関わってくださった皆さまの一つ一つの優しさに心から感謝しております![]()
。
私は本気でより良い未来にしたいと思っているので、別の理由でOHAOに近づかれる方には
正直にお断りすることもありましたが、本気でより良い未来のために協働してくださる仲間に
出会えることを楽しみにしています![]()
新しい年も皆さまと幸せで健康的な関わりとなりますように![]()
それから厚生労働省からの社会福祉協議会、さわやか福祉財団、オリックス宮内財団さまの
助成金のお陰で運営出来ました。ありがとうございました。

