ただ、それでも腹圧がかかっていたのか………子宮頸管がさらに短くなってしまい、さらに安静と言うことで点滴の量が変更になったのと、大便以外はほぼベッドでの生活になりました。
そして尿管にカテーテル(柔らかい管)を入れベッド場での排尿生活となりました。
このカテーテル…………ご経験ある方には分かると思うのですが、ものすごっっっごく違和感で
尚且つ常に痛いもうこの苦痛から逃れられたくて仕方ありませんでした。。
そんな入院生活で支えなのが夫の面会でした
面会に来てくれたときの嬉しさは本当に忘れられないくらい心が落ち着きましたよ。そのくらい心細くて。。
いつも仕事終わりにスーツのまま駆けつけてくれ、夫が帰った後は気持ちが穏やかになり眠りにつくことが出来ました。
入院から一週間が経ったある日、その日は仕事がどうしても早く切り上げれない為、面会時間に間に合わないのでお昼の休憩の合間に会いに来てくれました。
夜、面会がないことは分かってはいたのですが、やはり気持ちが辛くなってしまい。
なかなか眠れず涙もいつの間にかドンドン溢れて、止まらず。。
そんな時、お腹の張りもいつもより痛みが強く頻度もいつもより多いなぁと。感覚的に1時間置きの痛みが朝方には30分置きになってました。
私のダメな所がこんなところでも出てしまったのですが、
すぐに人に頼ることが出来ないと言うか、
"どうしよう。どうしよう"と考えている内に時間が過ぎてしまいそのまま朝を迎えました。
今思い返すとナースコールを押していればと後悔しています。
朝、7時前トイレに行こうとゆっくりベッドをギャッチアップして座位になるとパンツに不快感がありました。
カテーテルから尿が漏れてる?とパンツを確認すると粘液混じりの多量の出血がありました。
すぐにナースコールを押し助産師さんに来てもらいました。
助産師さんは落ち着いて確認し、「大丈夫だからね。」と私をまず落ち着かせてくれ、
夜のお腹の張りや痛みの事を聞きバタバタと動き始め、車椅子で内診台まで行きました。
夜勤の先生が診てくださり、内診結果を主治医に電話している模様。
心臓はずっとドキドキ…………どうしよう。どうしよう。どうしよう。
夜勤の先生
「破水はしていませんが、主治医の先生に確認し、今から出産しましょうということになりました。」
あぁ………やっぱり。もう産まれちゃう。
まだ25週なのに。どうしよう。さっきのお腹の痛みは陣痛だったのかも。。
(ここからは気持ちもフワフワドキドキしており、記憶も曖昧さがありますが。)
助産師さんが携帯を持ってきてくれ夫に電話。しかし、なかなか繋がらず。病院で電波が悪かったから?なのか。助産師さんに電話はお願いすることになりました。
赤ちゃんは逆子になっている状態なので、帝王切開になりますと説明があり、ベッドに移り手術室へ。
早朝でしたが、主治医もすぐに駆けつけてくれ手術室に行く前に会うことが出来ました。寝癖ありの私服のままで(笑)
(当時笑う所ではまったくなかったですよ。今となっては想い出話でクスッとなるところなので。)
こんな大きな病院の先生ってどこか業務的なイメージだったけど、神過ぎて本当に感謝です。(自分がそれだけのハイリスク妊婦だとまだこの時も自覚ありません)
手術室ギリギリまで助産師さんが見送ってくれ、励ましてくれました。
夫は間に合わず。
手術が初めての私。手術室も初めて。こんなに人がいるものなの
私の顔の真横にはNICUの女医さんが優しく声をかけてくれました。この女医さんは今でもとーーってもお世話になっている、こちらも私の中で神ってる女医さんです。
脊髄麻酔をして程なくして赤ちゃんが取り上げられました。
赤ちゃんの姿は見れませんでしたが小さな産声は聞くことが出来ました。
もう涙が止まりません。不安と罪悪感で。。
早くに産まれ、まだまだすべてが未熟な赤ちゃんはすぐに蘇生処置が行われます。
しばらくして赤ちゃんが保育器越しに遠くの方で見ることが出来ましたが、ほとんど見えませんでした。
25週1日
体重858g
小さな男の子を出産しました。