こんばんは!
歴史大好き、おはなです🌷
みなさんは歴史を勉強するのは好きですか?
または、好きでしたか?😆
私は、学生の時から、歴史の先生の教え方が
好きで分かりやすかったこともあって、
日本史、世界史問わず、
学んだり、調べたりするのが好きでした🌟
(いわゆる歴女ですね♪)
また、日本史は楽しく学びたくて、
大河ドラマや小説などをよく見ていました🎶
日本史の中では、戦国時代と江戸時代が
面白いなと思っていて、今でも、
聖地巡りや歴史のある神社仏閣巡りが
趣味でもあります!
その中でも、友人の渡邊芳樹さんが
山梨出身ということもあり、
山梨にゆかりのある歴史的人物といえば
『武田信玄』ということで、
武田信玄について、詳しく調べてみたら、
たくさんの気づきがあったので、
書いていこうと思います!
武田信玄とは?
ざっくり簡単に説明しますと、武田信玄が
生きていたら、織田信長の天下はなかった
かもしれないと言われている人物です!
武田信玄は幼少期から、神童と呼ばれるほど
武術にも学問にも優れていました✨
そのため、その時の教育係の和尚が、
「孫子の兵法」なども幼い頃から教え込んだと
言われています🤔
しかし、賢すぎて父から疎まれたため、
父を追い出し、家督を継ぎます。
冷酷な人なのかなと思いますが、誰も殺さずに
家督を継いだことや、追い出した後も
父には多額の生活費を仕送りしたりと、
家族は大事にしていたのかもしれませんね😃
その後、山梨から勢力を広げ、中部、関東まで
侵攻します。その国力は戦国最強で、
信玄は『甲斐の虎』とも呼ばれました🌟
越後国の上杉謙信は良きライバルで
11年のうち、5回にも及ぶ
川中島の合戦で対決しています。
また、晩年には織田信長や徳川家康とも対立、
瞬く間に制圧し、圧倒的な強さを誇りましたが、
病に倒れ(胃がんと言われています)、
急逝しました。
武田信玄のエピソード
戦国最強とも言える武田信玄にまつわる
有名なエピソードをご紹介します!
①風林火山の軍旗
紺地の軍旗に綴つづられた
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」
風林火山とは、
”風のように速く攻め、
林のように静かに待ち、
火のような勢いで侵略し、
山のように陣を守る”
といった意味を持つ兵法の極意で、
戦のバイブル『孫氏の兵法』にある教えです。
武田信玄はこの『風林火山』を
戦略とし、大勝ちするのではなく、
負けない戦をコツコツと堅実に積み重ねる
武将でした😁
歴史にもしもあの時...というのは
少し無粋かもしれませんが、
あの徳川家康をギリギリまで
追い詰めたのが武田信玄の戦です✨
武田信玄と徳川家康の戦いは
「三方ヶ原の戦い」といわれ、
家康は信玄の軍勢に恐怖し、糞尿を
垂れ流しながら、逃げ出したそうです😨
家康はこの時の自身の恐怖にひきつった顔を
戒めとして、肖像画を描かせたほどでした!
また、評論家の間では、
信玄があと一年長く生きていれば、
家康は生き延びておらず、
徳川の時代も来ていなかったのではないかと
いわれているそうです!
②上杉謙信との絆
前述したように、越後の上杉謙信とは
11年の中で5回も戦っています。
(川中島の合戦)
好戦的で野心に溢れる武田信玄と、
守りが中心の義に厚い上杉謙信という
真逆の性格ながら、お互いの力を認め合い、
信頼を置いていたようです✨
有名な『敵に塩を送る』という言葉は、
武田信玄が今川氏から塩の流通を
止められた時に上杉謙信が塩を売ったため、
助かったというところから来ています!
また、武田信玄は自分の息子に、
自分の死後は上杉謙信を頼り、
戦をしてはいけない
と遺言するほど、信頼していました。
お互いに全力で真正面から対決していた
からこそ、ライバルを超えた
厚い友情のようなものだったのかも
しれませんね!✨
③今でも残る山梨県内の功績
現在の山梨県には、武田信玄が行った
内政事業の面影が数多く残っているそうです!
代表的なものに
『信玄堤(しんげんづつみ)』があります。
釜無川の氾濫区域に設置された
独自の治水構造物は、400年以上経った現在も
決壊しない堤防として知られています。
この事業のおかげで、田畑の開発が進んだと
言われ、信玄はさまざまなアイディアで、
国づくりを強化していきました。
より甲斐国を発展させ、安定させたい、
その思いからくるたくさんの公共事業や
戦略だったのだと思います🍀
④山本勘助の登用などの組織づくりのプロ
武田信玄は人材マネジメントや
組織づくりののプロだと言われています💪
”人は城、人は石垣、人は堀。
情けは味方、仇は敵なり”
これは「国づくりには人が一番大切だ」
という意味で、武田信玄の領土経営の
方針でした。
その証拠に軍師の山本勘助などの
身分が低くてもやる気や実力のある人材を
積極的に登用したり、
意思決定にも合議制を用いて、
トップダウンではなく、家臣たちの意見も
取り入れながらより良いものを作ったり、
モチベーションを高く保つ姿勢は、
今でも通じるところではないでしょうか?🌟
武田信玄の話を読んでいて思うのは、
上からただ指示を出すだけの将軍ではなく、
家臣や民衆と共にいた将軍なのだなと
思いました!
特に、人を大事にして領土経営をしたり、
優秀な人物とチームを組んで戦うところは
同じ山梨県出身である、若手経営者の
渡邊芳樹さんと通じるところがあるなと
感じました✨
渡邊さんは、高卒で某大手電力会社に入社し、
その会社に骨を埋めるつもりで目の前の
仕事に打ち込まれていました!
しかし、同期よりもいくら頑張っても
給料も大きく変わることはなく、
さらに憧れの上司を見ると、
家庭をとるか仕事をとるかという
一方を選ぶと、もう一方を選びにくくなって
しまうことにモヤモヤとしていた時に、
本当はどういう人生にしたいのだろうと
向き合ったそうです。
そして、一度きりの人生だったら、
お金も時間も健康も仲間(家族)もすべて
全部取りできる人生にしようと決めて、
経営の道を選ばれました🌟
そんな渡邊さんは、常日頃から
人が大事とおっしゃっており、
目の前の人を大事にして向き合っており、
だからこそたくさんの素晴らしい方々に
囲まれているのだと思います!
その在り方から、真摯さや誠実さが
伝わってきて、一緒にいると、
私もそうなりたい!と思える方です✨
堅実にコツコツと努力を積み重ね続けて、
毎月右肩上がりで大きな成果を作っている
渡邊さんですが、
常に学び続ける姿勢を大事にしていて、
謙虚に素直に学んでいるからこそ、
たくさんの人から慕われ、信頼されて
いるのだと思います!
ここまで、同じ山梨県出身の武田信玄と
若手経営者の渡邊芳樹さんについて
書いてきました。
時代は違えど、領地経営と会社経営は
共通している点もたくさんあり、
その人の『思い』の部分に
人は惹かれるのだなと思いました!
私も目の前の人を大事にして、
日々成長する毎日にしていきます🎶
参考:
https://www.touken-world.jp/tips/7482/