2009年5月9日 12:00 in 島根 松江駅。
付近の鯛飯屋&友人宅。
自分カタログツアー。
11~12人目は、高校のときの友達。
というか、3年間クラスが同じで、
高校卒業後、実家に帰ったときに、よく集まっていたメンツ。
※うちの高校は、進学校だったが、
さらに選抜クラスを文系と理系に作っていて
そのお陰で3年間クラスが一緒の人が結構いる。
1人は、高校のときは化学部所属?で
どうみても運動できなさそうな感じの風体の男だったが、
大学に行って、劇的ビフォアーアフター。
大学1年の夏休みだったか、会ったときには、
日に焼けて格好いいテニスマンになっていた。
自分をいかによりよく変えていくかを
モットーにしている自分としては、その変わりぶりに
「どうしたん?まじでぇ!」を連呼していたような気もするが、
自分のことのようにうれしかったなぁ。
そして、そのお陰か、今は、かわいい嫁さんと
子供が2人いて、ちょっとえらそうな数学&テニス先生をやっている。
やっぱり、
『人はいつでもいつまでも変われる』
だね。
そして、もう1人は、気がついたら仲良くなっていた女子。
いや、正確には、小学校のときに、転校するまで、
2年ちょっと祖父母の家に住んでいて、
その転校前に通っていた小学校の友達つながり
ということを知って、興味をもった。
でもまあ、向こうからそういって話しかけてくれたから
仲良くもなれたんだよなぁ。ありがたや、ありがたや。
当時はいまほど、積極的に人と話していこう、
仲良くしていこうというモチベーションもスキルも
なかったから、うれしかったんだね。
・・・
すっかり方言を忘れてしまっている自分をよそに
方言をしゃべりまくりの2人に懐かしさを覚え、
似て非なる方言のつかいかたをする自分に
2人の「オイオイ・・」的な雰囲気を感じながら、
久しぶりの再会に話が弾む。
そして、車は彼の嫁さんと子供を拾って、鯛飯屋へ。
NHKの「だんだん」にかぶれてた自分の
「シジミ汁」が食べたいという、儚い願いよりも、
たっての「鯛飯」を食わせたいという彼の熱い想いをうけ、
向かった先で食べた鯛飯は豪勢でした。
その後はそのまま彼の家で、お茶しながら、
当時の自分のイメージを聞くことに。
赤:友人女子。
青:友人男子。
・クラスの中で目立った人ではなかったけど、
おもしろいという認識。
・TRUE LOVE(藤井フミヤ)が上手だった。
→ハハ、そうきましたか。
確かに好きで当時よく歌ってたけど、それが記憶に残っているとは、、
それよりも大黒 摩季が大好きでよく歌っていて、あるとき、
友達に軽くダメだしされて(つまり女子が歌ったほうが確実にうまい)
それからは封印した。
・つながりを大事にする人。
(すぐに集まりたがる)
・人にあまり左右されない。
でも人の意見を聞く耳はもっている。
・硬派でも軟派でもなく、
男子という感じではなかった。
→それは果たしていいのか、悪いのか、、
まあ、それがあるから仲良くもなれたのかな?
・型にはまらない、独特。
いいものはいい、わるいものはわるいという考え方。
そして、前にも話してくれた話も再度聞いた。
(あんまり覚えてないけど、そうだった気もするし、
多分、自分だったらそういうこというだろうな~)
・1年のときに、自分が赤チャートを学校にもってきてやってて、
そのときに彼がきて、
「どこの大学の赤チャートやってるん?」って聞くと、
「京大」と答えたらしい。
「えっ、京大なんて無理じゃん」って言う彼に向って、
「そんなん1年のときから無理って決めつけてどうするん?」と。
今でも同じように答えると思うけど、
彼にはそれがちょっとびっくりだったみたいで、
その後、彼が高校の先生になって、
進路相談のときに、「そんな友達がおった」と言っていると
聞いたときは、ちょっぴりうれしかったな。
(どういう意味でつかってるのかは不明だが、、)
そうして、分かれ際になって書いてもらった言葉。
「一生涯の内で、”友達”と本当に呼べる人は
たくさんはいないと思います。
私には4人いると思っていますが、
『森くん』はその中の1人です。
私にとっては、そんな存在です」
「森くんとは、、
positiveな男。
私の人生に刺激をちょこちょこ与えます。
私も何か影響を与える人になりたいです」
2人ともありがとう!!
また会おう!
ほんと、同窓会せなな~
.
(全体を入れると、誰かわからん小ささに・・)