佐渡にて順徳天皇を偲ぶ | おごせ寛明のブログ

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順徳天皇

ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり (順徳院)
    百人一首でも有名。

    承久の乱に敗れ、佐渡に配流。24才。
    この年まで天皇在位11年ということなので13歳で即位したことになる。

    乱に参加したのは父である後鳥羽上皇への恩であったのかどうか。今となっては定かではないが、相手も時代も悪かった。北条政子。鎌倉幕府の確立期であった。

    佐渡に流され21年。45歳にして崩御。佐渡では3人の皇女をもうけたという。
    その火葬塚が真野御陵(まのごりょう)。佐渡では観光名所だ。
    正式には真野御陵(まののみささぎ)というらしい。

    現在の仕事場である佐渡支部精舎は、縁があってかなくてか、その真野御陵のすぐそばである。
    言い伝えのように絶望の中で息絶えたのか。それとも・・・
    風光明媚な佐渡ヶ島で21年間、怨念の塊となって生きたのではなく、諸行無常の理を肌で感じながら、穏やかな心境で高天原に還られたものと信じたいものだ。
    建国記念の日に順徳天皇を偲び、合掌。