この記事は私のヒプノ体験 その1 怒っている自分へ会いに行く の続きになります。
寝ちゃだめなのだけど、遠隔で床に仰向けになり毛布をかけて受けていました。
<前回のあらすじ>
私は妹が生まれるときに親戚に預けられたことを怒っている自分に会いにいき、
檻の中にいるイメージが出てきました。
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「檻の中にいるよう」 なにかここで一段深いところに行ったような気がしました。
「そこを出てどこに行きたい?」
「あったかいところ。暖炉の前。(ハワイに行きたい)」 ←ハワイは声にならなかった。
「そうだね。すごく冷えてたね。小さい自分を抱きしめてあげて。」
「女の子はプレゼントを渡してくれました。数を3つ数えるとそれが目の前に現れます。
何を受け取った?」
その質問に(それは無茶だー)と心の中で思ったのですが、なぜか浮かんできたのもがありました。
「王冠。ティアラみたいな」
「それはどういう物?」
「それをかぶると、思考がぶれない。心地よくいられる」
↑自分の言った言葉に「へーっ」と感心する私。
「それを体のどこに入れる?」
え?体の中に入れるの?かぶるものだけど?と思いながらも、言われた言葉に素直に答える私。
おなか(へその右側)を触っていたのでそこに入れると答えました。
意識はあるけど目をつぶり、ぼーっとした状態で答えています。
ゆっくり話すけど返答はさくさくしていたと思います。
菜美さんの質問は続きます。
「目の前に女神が現れました。それはどんな人?」
「アナと雪の女王のエルサみたいな人。スレンダー。氷の女王」
「その人の名前は?」
未来の私自身に思えたので「あき」と答えました。私は女神じゃないけど、思いながら(;^_^A。
アナ雪2を見たいと思っているから出た思考なのか?
「その女神はこれからもあきさんを守ってくれます。お守りをくれました。
3つ数えると現れます。1、2、3。」
あー💦、無茶ぶりだぁと思いながらもひし形♢のようなものが浮かびました。
「ひし形のもの。水晶の結晶?」
「それをどこに入れる?」
「眉間」
「いいねえ!あきさんいいよぉ。それを眉間から松果体という場所に入れましょう。それを早く回転させて。」
「・・・・・」 ←一生懸命それを頭の中でイメージする私。
夢の中にいるような感じでした。
最初に出てきたイメージのひし形はテーブルの上に置かれた平面的なものだったのですが、それが水晶の結晶のようになり、眉間に入れるとなったから眉間に入る大きさになるといった感じ。
それから未来の自分に会いに行きましたよ。
私は遠くに山並みが見える自然豊かな景色のところにいました。
今住んでいるところも田舎ですが、未来の場所はもっと開けた感じで空が広い。
富士山が見えるような気がしました。
3年後にそこにいるようです。
時間になりセッションは終わりました。
過去世などは話していないけど、自分の口から入ったことのない「檻の中」や「ひし形」などが出てきたことが不思議。
ヒプノは自分の内側とのコミュニケーションだとのこと。
ビジョンとして受け取ったり、言葉で受け取ったり人によってそれは様々なようです。
終わったあとも話をしてくれたのですが、
私たちは「教育」で外側の意識を受けとることが当たり前になっているとのこと。
自分の内側にあるものに気付くこと、出てくる言葉や自分の感情を認めることが大事。
未来の自分に会いに行ったが、思い浮かぶことができることは存在するということ。
これはいい話を聞いたなぁと思いました。
自分の中にあるエネルギーを擬人化してこどもに例えたり、「もやもやちゃん」として話しかけてみるといいそうです。
今回の場合は2歳の女の子。感情を押し込めてしまった。無力感。無表情。そんな女の子でした。
これは心を麻痺させる何かがあったということですよと教えていただきました。
怒りが出せないということだったかもしれない。
暖かいところに行きたいというのは冷えているということ。実際すごい冷え性でした。これは大人になってかなり気を付けたことです。また、自分の冷めた考えにもつながっているのかもしれないなぁと感じました。 自分ではだいぶとけてきたと思いますが。
幼いころの嫉妬感。その頃はその感情をどう扱っていいかわからない。
多分、幼いころから泣けていないのでは? と、言われました。
本当の自由と本当の愛を知ろう。と。
泣けていないと言われれば、そうかもしれないです。
一人目を流産したとき、状況が呑み込めない私は泣けなかったのです。今思えば泣いてよかったのに。
二人目の流産も空虚。とても乾いてました。「思うようにならない」この思いも何回かしてきたな。
思い返すと、「檻の中」のように自由にならない辛さというのは、若いころの恋愛でもありました。
乗り越えるべき感情は繰り返している???
あと答えながら「あれ?」と気づいたのですが、
セッションの最初に受けた質問で、家族それぞれについての思い、例えば「妹がもっと幸せになるにはどうしたらいいと思うか?」という質問は「好きなことをしているから今のままでいい」と答え、弟については「補い合い、支えてくれる人がいるといい」と答えたのですが、それはそのまま自分に当てはまるのです。
私は好きなことをしていくことを良しとし、支えてくれる人を欲しているということ。
当たってる! どうなってるの?
◆自分のことは自分に聞くのが一番。
◆周りの人に自分の考えを投影しているから周囲を観察すると自分のことがよくわかる。
ということでしょうか。これ初めて聞くことではないけど、どちらもほんとできないですね。
受けてきた教育のせいか?
「私たちは「教育」で外側の意識を受けとることが当たり前になっているとのこと」
セッションが終わった後、世の中ってなんてわかりやすいんだと思ったんです。
こんなに何回も進む方向を教えてくれているだ!と感動したのだけど、1か月近く経って心や意識の持ち方がまた逆になっていたようです。
人ってこんなにも自分中心なのですね。自分が見たいように世界を見ている。
弟は独身だけど、ちゃんと一人でやっているし、独り身を楽しんでいるのかもしれないのに、私が勝手に「支えてくれる人がいるといい」と感じているのだから。でもって、その言葉はそっくりそのまま主語を自分にして当てはまる。
これについて私はまだ訓練が必要です。
恥ずかしい話をしてるよね。
読んでくださった方の参考になれば幸いです。
で、あと少し、このセッションのおまけがあるのでまた書きます。