The Beatlesの(元メンバーというべきか)John Lennonが狙撃・暗殺されて30年になる。

 ちょっと遅れてきたビートルズ世代のひとりとして、武道館での東京公演を見に行ったのがだ、あれからもう43年もの歳月が流れてしまった。

 私は、ビートルズの音楽そのものより、「ヤア、ヤア、ヤア!ビートルズがやって来る」と「Help!」というリチャード・レスター監督による映画からビートルズにハマった。これらの作品は20回以上見たはずだ(DVDなどない時代だから、もちろん映画館で)。「Help!」の一場面における Seemingly safe in the sheltering Alps

(アルプスに匿われて安全そうに見えたが)という英語字幕はいまでも覚えている。いちおう英語学英米文学を専攻していた(今はすっかりサビついてしまったが)ので、この簡潔で洒落た字幕は、Shakespeareの有名なセリフと同じくらいの言語的イッパクトがあった。

 レスター監督の遊び心たっぷりの斬新な映像感覚はほとんど類例がないが、かならずしも日本人に受けるタイプではないから、「ナック」「や「ローマで起こった奇妙な出来事」などの作品を見た人は少ないと思う。レスター監督と相通ずるものを挙げれば、ジョウゼフ・ロージー監督の「唇からナイフ」ぐらいだろうか。これも、まあどちらかというとマイナーな作品だから、マニアックな映画好きでないと知らないだろう。

 それはさておき、40歳で暗殺されたレノンが遺言を残していたことには、当時ほんとうに驚かされた。余命半年の不治の病におかされていたのならまだしも、狂信的なファンに銃撃されるという予測しがたい亡くなり方をしたのだから。どちらというと常識に沿ったポール・マッカートニーと違って、レノンの作詞はリニアモーターカーのように数センチ宙に浮いた感覚がある。人生観も常識を超えたところがあったのではないかと思う。

 藍川由美さんの和琴唱歌コンサート「催馬楽(さいばら)と源氏物語」の招待状を頂戴したので、超駆け足で上野まで往復した。

 上野駅前東京文化会館小ホールの舞台に、真っ赤な長い袴(長素絹か?)に平安時代の王朝の衣装をまとった藍川さんが登場し、6弦の琴を前にして胡座(あぐら)で腰を落ち着ける。

 平安王朝の時代背景を説明しながら、『源氏物語』の一節を朗読。当然ながら、耳で聞いただけでは、意味がわからないところがある。 受付でもらったプログラムに掲載されているのだが、客席は暗いので読むことはできない。

 やがて藍川さんが、琴をつまびきながら催馬楽を唄う。平安時代にはこんなにゆったりとした時間が流れていたのか。千年以上もタイムスリップした雰囲気をあじわう。なんでも催馬楽が本格的に演奏されるのは数世紀ぶりだという。学究心旺盛な藍川さんでなければ叶わなかった催馬楽の復活である。

 前半3曲、休憩のあと、すこし装いが変わって長短3曲。素人には違いがわからないが、「呂」音階と「律」音階とで弾く琴も変わる。

 『これでいいのか、日本のうた』(タイトルの記憶が間違っていたらごめんなさい。新書版で出ている)に触発されて豊橋での研修会の講師としてお招きしたのがきっかけでささやかなご縁を得た。

 庫裏を改装するために納戸を整理していると、大正時代(明治のもあったかしら)の音楽資料が出てきた。むかし母親が参照したものと思われる。廃棄しようかと考えたが、ふと思いついて、

「こんなものが出てきました。もし利用価値のないものでしたら処分してください」

と添え書きして藍川さんに送ったところ、お礼の手紙と立派な著書を頂戴した。

 そんなご縁で(主に東京での)コンサートの案内をいただくのだが、なかなか出かけられなかった。今回、1時間半のコンサートを含めて滞在3時間のとんぼ帰りだったが、出かけてよかったと思う。

 ところで藍川さん、『席田』という曲の「住む鶴の」というところは「つる」ではなく「たづ」と読むべきではないでしょうか。

 イスラム教の聖典「コーラン」を焼却するぞ、などというのは極端な例としても、キリトス教の神父さんや牧師さんは、けっこう政治的なテーマを語るらしい。

 いままで法話や説教の席で政治がらみの話をしたことはほとんどなかったのだが、先日、ある寺の彼岸法要で、「尖閣列島沖での中国漁船衝突事件」についてしゃべってしまった。

 それにしても一連の中国共産党首脳の発言やら対抗措置はムチャクチャだ。大局的判断ができる鄧小平のような実力者が健在であれば、すこしは違った展開になったと思うけれど。

 選挙で選ばれたわけでなく、中国共産党内で対抗馬をおしのけてのし上がった連中だから、自分の地位保全のためなら何でもあり、という感じがする。

 中国では、貧富の格差が広がるばかり。官僚の汚職は、日本でもときどき表沙汰になるが、中国では日本と比較にならないほど根深いようだ。おまけに都市住民と農民を戸籍で「差別する」という理不尽きわまりない制度があり、農民の不満をなんとか紛らわそうと中国政府は必死である。

 そんなとき、尖閣列島沖での事件が起きて(あるいは起こそうとしてのか)、国内問題から目をそらすのに最適だと飛びついたものと思われる。中国首脳の言動を見ていると、中国人民のためではなく、共産党と自分の地位保全のために、戦争でもやりかねない、という感じがする。

 漁船の船長を処分保留で釈放するという穏便な措置はタイミングが早すぎて、中国の脅しに屈したという印象もあるけれど、日本のほうが「大人」の対応をしたとも言える。

 大国意識むきだしの中国の圧力を日本以上に感じているであろうベトナムやフィリピン、マレーシア、モンゴルなどとの友好を深め連帯していく努力を外務省に望みたい。

 ところで、「中国一の名優 温家宝」という温首相批判の書が出版されるという記事を先日よんだが、出版されたのだろう。著者は逮捕されたのだろうか。日本語訳が出たらぜひ読んでみたいものだ。