能登の思い出 | 神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

神社仏閣旅歩き そして時には食べ歩き

還暦を過ぎて体にトラブルが出始めて、ランニングを楽しめなくなりました。近ごろはウォーキングに軸足を移して道内の神社仏閣を巡り、御朱印を拝受したり霊場巡礼を楽しんでいます。いつかは四国八十八ヶ所巡礼や熊野詣をすることが夢です。by おがまん@小笠原章仁

 胆振東部地震以来の震度7を記録した令和6年能登半島地震。その被害はどんどん拡大し、未だ安否がわからない人も数多くいます。一刻も早い救助を望みますが、ライフラインも寸断されていて救助活動も難航を極めているようです。

 能登半島、実はかつて1周したことがあります。あれは高校1年生の春休みでしたから、1976年のことです。いまから48年、ほぼ半世紀前ですね。夏休みにバイトしたお金で、フェリーを使って金曜の夜に小樽を出港し、日曜朝に敦賀に上陸してから金沢に入り金沢観光後にユースホステルに泊まりました。翌日から国鉄と路線バスと徒歩で能登半島内のユースホステル3箇所(たしか門前、輪島、禄剛崎あたり)に泊まったあと、国鉄能登線で金沢に戻り再び金沢ユースホステルに泊まるという、石川県内5泊の行程です。帰りはたしか金沢駅から特急白鳥で青森に行き、そこから青函連絡船で北海道に帰ってきました。

 行きのフェリーで2泊。金沢・能登のユースホステルで5泊。帰りの連絡船で1泊。船中泊3泊とユース5泊、計8泊9日の長旅です。考えてみれば、これが私の人生で最長期間の旅でした。

 特に能登半島の外浦はじっくり回りました。巌門、桶滝、白米千枚田、曽々木海岸、時国家などを見ていたのだったかなあ。圧巻は荒磯遊歩道でした。約18キロの遊歩道(しかも3月の荒波で所々壊れていて危険でした←実は立ち入り禁止の看板が出てたけど無視した)を大きなリュックを背負って歩きました。

 内浦は能登線に乗りながら見附島とか恋路海岸とかに立ち寄ったんだったかなあ。なにしろ昔の話なので、ほとんど覚えていないのですが、微かに断片的な記憶が残っています。

 もう何年も(何十年もかな?)見ていないけど、当時の写真はアルバムに貼ってあるはずです。半世紀前の写真だから色褪せているでしょうけど、引っ張り出してみてみようかな。そう思って探したのですが見つかりません。もしかして実家に置いてあるのかなあ。もしも見つかって公開に耐えられそうなら、こちらでも紹介しようと思います。