[桐朋学園の思い出1]はじめは専門学校で学ぶつもりだった | 歌う門には福来る

歌う門には福来る

singer&learning partner 大井祥子 のブログ

■桐朋学園での思い出1

 

 会社員を辞めて「ともかく2年間は音楽をどっぷりやる」と思い込んだのは、

2007年頃のこと。

 

 ジャズを歌ってて、楽譜に弱いことを長い間気に病んでたこともあり、

専門学校などで、作曲や音楽理論を学ぼうと考えました。

それで、加古隆さんが学長の専門学校を見学したり、

様々な専門学校を調べました。

 

やがて、税理士事務所に勤めていた時、近くのお客さんからよく話しを聞いていた

「ヤマハ音楽院」の、当時、日吉にあった校舎を見学し、

翌年に、ポピュラー音楽理論か何かを専攻して入学するつもりになりました。

 

ところが翌年の6月頃、

新しい社長さんの改革か何かで

「今年度は募集をしないことになりました」

との連絡が。

 

すっかりやめる気になっていたので、

どうしようかと焦ったところに

「桐朋学園芸術短期大学」の社会人入試の文字が目に入りました。

社会人入試は実技のみ、とのこと。

 

当時、ジャズギターを習っていた、

古くからのギタリストの知人にも強くすすめられ、

とりあえず学校説明会に行ってみました。

 

 

短大の建物のようす(学校案内より)

 

 

当時「のだめカンタービレ」が流行っていたこともあり、

神奈川県川崎市の溝の口に住んでいた頃には、

洗足学園の校舎なども見ていたので、

音大とは、おしゃれで立派な建物のイメージでした。

ところが、当時の桐朋学園は、

手前の音楽大学からして建物も古く、

短大は「新館」と書いてありますが、まったくもって新しくない。

トイレなど、ウォッシュレットでないどころか、

いまだに和式トイレだらけ。

清潔感はありましたが、

「質実剛健」という四文字熟語が浮かぶような第一印象でした。

そこに、フルートやヴァイオリンを持っている、若い方々が集まってきているのです。

しかし、かえって心地よく、好感が持てました。

 

ただ、今思えば、

若いビジネスウーマンにありがちな、

無意識にちょっと偉そうなところが、当時の私にありまして、

質問ブースで、

担当された先生に不躾な質問を、浴びせてしまったと思います。

その先生は、当時主任をつとめていたM先生でした。(つづく)

 

 

卒業時学長だった、蜷川幸雄先生と