問題が闇から闇へ葬られる~公文書の改竄・隠蔽 小生が気になる新聞の一つである石垣の「八重山日報」紙;4月9日のコラム;「金波銀波」 では、「公文書改竄隠蔽問題」を取り上げているので、一部加筆の上で引用、紹介する。 財務省や防衛省の公文書をめぐって、改竄や隠蔽が指摘される問題が相次いでいる。 能力とモラルが日本一高い組織のはずだった官僚機構の不祥事は、「メイド・イン・ジャ パン」の信頼性をも根底から揺るがす残念な事態だ。 簡単に言ってしまえば「自らの責任逃れのためにウソをついていた」という問題なのだが、 大小の差こそあれ、こんなことは一般の民間企業でも日常茶飯事。 関わった人間がとことん正直にすべてを明かして、関与の度合いに応じてきちんと責任を 取ることでしか、こうした問題は解決しない。どこかにウソが残り、誰かが責任逃れをした まま幕引きすれば、必ず再発の芽を残すことになる。 最悪なのは、「問題が闇から闇へ葬られるパターン」である。トラブルを覆い隠せば、穏や かで何事もない日常がまた始まる。しかし、行き着く先は救いようもない破局だ。逆に考え れば、問題が発覚したということは、どこかでまだ自浄作用が働いていることを示す。 まともな社会人であれば、スッキリ楽しく過ごせる一日などほとんどない。胃が痛くなるよ うな毎日の連続が普通だ。一国の政治であれ一個人の仕事であれ、試されているのは 対処力である。臆せず正しく対処すれば、トラブルは改善や前進へのシグナルにもなる。