最近「毒親」という言葉を聞きます。

 

よく中高生の女子から母親の悪口を聞くことがあります。内容はけっこうひどいもので、胸が痛み、本当にそんなことがあるのかと思うようなものも多々あります。

 

けれど、そこでカウンセラーが「なんてひどいお母さんなの!」「そんなの信じられない」と言うと、彼女たちは、慌てて「いや、私が悪いからで」とか「お母さんが悪いわけじゃないんです」と言い出します。

 

 

彼女たちが言いたいのは、いかにひどい母親かということではなく、母親に愛されたいのに自分が望むように愛してくれない切なさです。だから他人から母親の悪口は言われたくないのです。

 

私が聞いていると、あまりにも母娘の相性が悪かったり、そもそも母親側に愛する能力が欠如しているとしか思えないような例もあります。でも子どもたちは、それを認められません。それを認めてしまうことは、永遠に母親からの愛情を得られなくなることを認めることになるからです。

 

母親から愛されることを諦めてしまえば、彼女たちだって楽になるのです。

 

成人になり、母親との愛のある関係を諦め、他に愛してくれる人を見つけて、初めて「うちの母は毒親だった」と認められる日が来るのかもしれません。

それまで、カウンセラーとしての私は彼女たちの愛されたいのに愛されない。愛されるための必死の行動の数々に寄り添うしかないのです。