クライストチャーチの地震に思う | 小椋聡@カバ丸クリエイティブ工房

小椋聡@カバ丸クリエイティブ工房

兵庫県の田舎で、茅葺きトタン引きの古民家でデザイナー&イラストレーターとして生活しています。
自宅兼事務所の「古民家空間 kotonoha」は、雑貨屋、民泊、シェアキッチン、レンタルスペースとしても活用しています。

今日の新聞報道で目にしたクライストチャーチ地震の記事で、「(生き残ったことを)素直に喜べない…」「なぜ私だけ助かったのか…」という見出しが掲載されていました。

記事の中では、サバイバーズ・ギルドという言葉の解説と共に、JR事故のことについても触れられていましたが、同じような場所で同じような条件下にいたのに、生き残った自分と死んでしまった人(たぶん、近くにいた人が本当に死んでしまったという実感は、まだ持てていないと思いますが)との違いは一体何だったのだろう…という気持ちが語られていました。

夕方のテレビ報道では行方不明者の名前が一人ずつ読み上げられていて、「あ~、あの時と同じだ…」と思いました。

自分自身が何に巻き込まれたのか良くわからない状況の中で、報道で名前を見つけて電話をかけて来てくれた知人への対応と、報道関係者からの電話やインターフォン攻撃、死にかけたにも関わらず目の前に迫っている現実的な仕事の処理のギャップとか…。
発生から1週間とは言え、日本から離れた場所で惨事に見舞われているので、まだまだ何がなんだかよく分からない状態で、とりあえず求められるまま取材に応えているのだと思います。

語学留学をしていた方が多く巻き込まれたということは、JR事故の時に通学中に学生が被害にあったように、多くの若い人たちが、自分だけが生き残ったことへの葛藤やトラウマと何年にもわたって向き合うこととなるのでしょう…。

閉じ込められた空間で身動き出来ないという直接体験のトラウマと共に、「地震」という自然災害からは逃れることの出来ない日本に住んでいる恐怖を乗り越えていかなければいけない試練を、ある日突然背負ってしまったのです。

そして、まだ現場に立ち入ることすら許されていない遺族(生存していると信じていますが)は、私たちが遺族と共に最期の乗車位置を探したように、愛する家族はいったいどこで亡くなったのか…ということを、きっと探し求めるのだと思います。

加害者がはっきりしている事件・事故と自然災害(意図的に耐震偽装がなされていれば事件ですけど)では安易に共有出来るような問題ではないかもしれませんが、彼らが長期にわたって心身ともに多くの困難に直面することは容易に想像ができます。

でも、どんな困難や葛藤があったにしても、「生きた」ことは素晴らしいことであるはずだと思います。それを否定することは、自分の身近にいてくれる友人や兄弟、両親、祖父母に至るまで、自分とは別の苦悩を抱えて生き、この世に存在してくれている人たちをも拒絶してしまうことなのではないかと感じます。

ゆっくりでもいいので、被害に遭った方々が自分の人生を歩めるようになりますように…