明日は事故から5年 | 小椋聡@カバ丸クリエイティブ工房

小椋聡@カバ丸クリエイティブ工房

兵庫県の田舎で、茅葺きトタン引きの古民家でデザイナー&イラストレーターとして生活しています。
自宅兼事務所の「古民家空間 kotonoha」は、雑貨屋、民泊、シェアキッチン、レンタルスペースとしても活用しています。

2005年4月25日に起きたJR福知山線脱線事故で2両目に乗車していて、マンションに激突して「く」の字に折れ曲がった場所の少し前に閉じ込められていました。折れた足よりも、車両の後方から前方まで飛ばされた際に全身を打撲し、特に顔面を何かで強打したために鞭打ちの後遺症が残りました。ずっと同じ姿勢でいることが出来なくて、結局事故から3年後に当時勤務していた会社を辞め、自宅で自分のペースで出来る現在のイラストレーターとしての道を選びました。

あまりにもたくさんの事があり過ぎて何をどのように説明すればいいのか分かりませんが、明日であれから5年の年月が経過します。事故当時35歳だった私が40歳になりました。

これは、事故から2年目に皆で出版した「JR福知山線脱線事故―2005年4月25日の記憶」という手記集です。誰があの電車に乗っていたのかすら全く分からない状況から独自に連絡先を調べてコンタクトを取り、少しずつ信頼関係を築きつつ集めた命の記録です。今、思えば、怪我や苦しい記憶と向き合いつつ、皆さんがよく書いてくれたな…と感じています。

$小椋 聡@デザインオフィス・コージィ

現在、私は、国土交通省・運輸安全委員会の事故調査報告書検証チームのメンバーとして、ノンフィクション作家の柳田邦男さんや「失敗学のすすめ」で有名な畑村洋一郎さん、信楽高原鉄道事故や明石歩道橋事故の支援弁護士・佐藤健宗さんらの有識者と事故被害者と共に、JR西日本の幹部と国の調査機関である事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の委員の間で情報漏えいが成されていた事件の調査と、既に出されている事故の最終報告書の信憑性を調査するチームで検証作業を進めています。

前原国土交通大臣の任命を受けてこの検証チームが発足したのですが、そもそも「事故調査」というものと「刑事事件の捜査」というのは、「調べている」ということでは似ているように見えるかもしれませんが、実は全く別物なのです。警察が調査しているのは、刑事事件としての罪を問うための捜査をすることが主な目的ですが、運輸安全委員会(当時は航空・鉄道事故調査委員会)が調査している目的は、事故原因の究明と再発防止が目的です。

昨日、検察審査会で起訴相当が議決されたJR西日本の歴代3社長が強制起訴されました。既に起訴されている前社長も含め、国鉄民営化以降のJR西日本の全社長が刑事責任を問われるという異常な事態になっていますが、日本の刑事裁判は「誰がどんな犯罪を犯したのか」もしくは「誰が、どんなやるべき責任を怠ったのか」ということのみが焦点になりますので、巨大事故が発生するに至る組織の問題点に関しては問うことが出来ない仕組みになっています。

再発防止を目的とする事故調査の根本は、「なぜ」この事故が起きたのかということを解明し、そこから二度と同じことを起こさない提言なり勧告を出すということにあります。今回の場合ですと、「なぜ運転士は116km/hもの猛スピードでブレーキもかけずにカーブに突入したのか」「なぜ運転士個人の判断でそのようなスピードでカーブに突入出来る仕組みになっているのか」「なぜ半径600mのカーブを300mに付け替えたときに何も安全対策がなされなかったのか」「なぜ車体があのようにくしゃくしゃに潰れてしまう構造なのか」などなど、そういったことを解明していかなければ、軽量化高速化が進む社会の中ではまた同じことが繰り返されるでしょう。

そういった意味で事故調査とは、個人の責任しか追求出来ない刑事捜査と全く性格の異なるもので、しかも刑事事件では「起訴」される人物がいなければ、それまで警察や検察が捜査してきた膨大な資料は(全て国民の税金で調査されている)何の役にも立たせることが出来ないまま、ある一定期間が過ぎると焼却処分されてしまうのです。そうした生の情報が目の前にあるにも関わらず、誰も起訴されなければ事故の真相に迫る資料を活かすことが出来ないというジレンマと、個人の責任しか追求出来ないという法的な限界、そして責任追及がなされる「捜査」と再発防止のための「調査」の分離ということの必要性が問われ始めています。

そういった面では今回の歴代社長の起訴によって、ある一定の組織事故(犯罪)としての真実が表に出ることになりますが、本来は「安全」という自社の信頼を再構築するために、自らが事故原因を究明して積極的に教訓を活かすべきだったのだと思います。
被害者の多くが「事故を起こした当事者が自ら事故原因を語れ」と粘り強く要求してきたにも関わらず、結果的に法廷で争うというかたちになるのは、JR西日本という会社が自己責任で信頼を回復するチャンスを失ったことなんだと感じています。