寓話というのは、「ぐうわ」と読み、教訓を目的としたショートストーリーです。子どもに寓話をよく読み聞かせるのは大事だと思いますが、同時に親もまたその寓話から得られる教訓に耳を傾けるべきだと思います。

 

 例えば、『北風と太陽』という物語があります。旅人の服を脱がせるためにどのようにすればいいのかを対照的な二つの方法を示し、どのような方法で人が動くのかを示唆した物語です。勿論、太陽がいいですよ。と物語は言っているわけです。

 

 上記の様に解った様な事を書いておりますが、私の親としての立場は、八割が「北風」です。頭では解っているつもりでも、行動に出るのは相手を構えさせてしまう行動です。温かく見守ってあげればいいのですが、私自身が短気な事、独自の意固地な教育観も相まって、子どもの心を閉ざしてしまった事も正直あります。

 

 私には、子どもが五人おります。その中で、上の娘二人に対しては特段の期待もしていないので、楽しい時間を共有するだけの父親です。下の娘の一方は幼児ですので、これからの期待大で、「ザ・北風」とも言える様な父親になってしまいました。下の娘は養女に当たります。彼女と出会うまでの成育過程が甘々(あまあま)だと感じるところがあり、殊更(ことさら:考えがあって、わざとすること)に厳しくしてしまうことがありましたし、今も傍(はた)から見れば厳しい父親だと他人(ひと)の目には映ることでしょう。

 

 私の中では、楽しい時間を共有するだけの父親は、ダメ親です。ちゃんと躾(しつけ)ける事は躾け、礼節を身に着けさせるべきだと思っています。唯々(ただただ)、可愛がるだけでは愛玩(あいがん)の対象にしかなっていないと思います。

 

 さて、対照的な上の娘達と下の娘ですが、私の彼女たちへの接し方が違う様に彼女たちの私への接し方は全く違うものになりました。上の娘達とは、よく出掛けます。もう高校生と中学生で年頃ですが、二人きりで、美味しいものを食べに行ったり、服選びをしたり、遠方のテーマパークに行くこともあります。これは、周囲からは「信じられない。」とか「無理~。」とかよく言われるので、稀有(けう)なことだと思います。

 

 それから、下の娘ですが、彼女は私に委縮しています。リビングでは大はしゃぎする様な子だったらしいのですが、私がそれを垣間見ることはありません。また、色々な事を喋る子らしいのですが、私が同じ空間にいると石の様に口を閉ざしてしまう様になってしまいました。

 下の娘は、幼児なので、とても純粋であり、正直です。その純朴な子がその様な行動に出るというのは、私は何か間違ったのでしょう。しかし、身の回りの私が気付いた事で言い聞かせた「彼女にとって出来ない事」は私が介入してからかなり出来るようになったと思います。

 

 実はここが難しいと感じるところで、厳しくすれば、心を閉ざしてしまいかねません。しかし、注意することを躊躇(ためら)い、何も言わないでいると社会に出てから困ることが多々あります。私自身、社会に出て悔しい思いをしました。そういった思いを子どもにさせないようにしようとする余り、子どもにとっては過酷な要求をしていたのかもしれません。

 

 「北風と太陽」という寓話に則(のっと)れば、太陽の方がより適した人の動かし方なのかもしれませんが、子育てというのは挨拶や食事の作法から人間関係の構築など一つの事だけではなく、色々な事が絡み合っています。勉強時間とレクリエーション(余暇)の時間の使い方といった、彼方立てれば此方が立たぬ所謂(いわゆる)トレードオフの関係になりそうなものもありそうです。

 

 そうすると、「バランスを取る」ことが大事だ、となりますが、そのバランスがまた難しく、そして同じ自分の子どもでも同じような匙加減、塩梅では上手くいかないことは枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がありません。

 

 しかしながら、自分が思うダメ親であろうとも、兎(と)にも角(かく)にも下の娘に対しては、また一からラポール(二者間の信頼関係のこと)を形成するべく、太陽の様な広い心で接するという行動に出るのが、今考えられるベストであると思います。

(担当:会田)