こんばんは、大島です。
今までにお話してまいりましたことに、私たちが、すべきことを、簡潔に物申してまいりたい、と考えます。
今宵は「弁える(わきまえる)」です。
誤解される方も多いですが、「差し出がましいことをしない」といった我を律する、という意味ではありません。それは、「身分をわきまえる」くらいです。
意味は、「物事の違いを見定める」や「道理を十分に心得る」であります。深く言えば、「物事に潜んでいることを見極めケジメをつける」なんてことにも至ります。
となりますと、政治や経済のことは、“政治家だけのもの”と区切るのもおかしくなり、故に“説明責任”なんてものが政治家に求められます。
外国人問題も、日本人の暮らしと諸外国人の暮らしが共同できるかは、疑問であり、さらに“世界で移民政策の成功例はない”ことからも、労働力目当てとしてもおかしく、倫理にすら抵触すると私は答えを導きます。
あえてこういう言い方をするのは、現在の政策の殆どが、「政治の独断」だからです。
国民議論が熟しもしない。
増税、外国人問題、治安不安、不可解な財政支出。
問題山積にして“さあ!選挙”と国民は妥協ありきになりかねません。
わきまえる。
この意味をよく理解しているがゆえ、私は、上司と議論してでも「会社をよくするため」働いてきた、とすら自負しています。
政治や経済論も、臆することなく、“日本人”ならば色んな情報を集めてでも議論をすべきことです。
前提として、世界統一や、平和、みんな同じは、ありえません。弁えてお考えくださいね。