三連休の初日、私の両親が遊びに来た。

久々に孫の顔を見にきたのだ。そこで、両親から我が子の外見について少しイジられるという場面があった。もちろん完全に冗談なのだが、ちょっと引っかかる出来事だった。私も外見についての何気ない言葉に傷ついたことがある。これは通り過ぎてはいけない問題な気がした。

 

そしてルッキズムについて少し考えてみた。

1. 自分の子が外見を中傷された場合

2. 自分の子が誰かの外見を中傷/褒めた場合    

自分は何と子に伝えるだろうか。

 

1. については、「美しい」「醜い」の基準は何か?子に問うてみる。答えは、「個人や時代や文化的背景によって違う」。目が大きい小さい、鼻が高い低い、身長の高い低い、何を基準にして言っているのかは人によって違う。またそれはただの「人の個性」であって、優劣があったり良し悪しがあるのではない。個性とは?あなたが他の人と違うこと、それが個性。他の人と違っているからこそ、意味がある。みんな違ってみんないい。みんな一緒の見た目がいいのならロボットでいい。「神様が地球上の全員を一人として同じように作ってない」のには意味がある。みんな同じだったら「あなたの代わりはいっぱいいるよね」となって、お互いを大事にできなくなるけど、みんな違うからお互いを大切にできるようになる。

 

2. については、「目が大きくてかわいいね」と言えば、目が細いとかわいくないのか?ということになる。「鼻が高くていいね」と言えば鼻が低いのは悪いことと決めつけてしまっていないか?考えさせることが大切。そして外国人の前では、(とくに海外では)絶対に人の外見を褒めてはいけない。(自分が「良い」と思うことは、相手にとってコンプレックスに思っているかもしれない。また自分の外見の嫌な部分が、他の人にはとっても素敵にみえるかもしれない。)なので、その人のセンスや、その人が手間をかけたり努力している部分を褒める。

ex その服すごい似合ってるね!ヘアアレンジ素敵だね!今日の服の色合いすごい好き!センスあるね!など

 

こんなところだろうか。

間違っても、我が子には二重が正義、色白じゃないとダメ、顔が小さくないと、背が高くないと・・・などの価値観を持って欲しくない。

もっと多様性が認められる時代になるために、世界基準の考え方を子どもに伝えていけるようにと願うばかりだ。とは言っても、世で実際に活躍している俳優さんは美男美女ばかり。このことに対してコメントを求められると少々苦しい。伝え方、難しいなあ〜。みなさまならなんとお伝えされますか?

 

そろそろお別れの時間です。みなさま今日も一日お疲れ様です。

私も、お疲れ様です。なんて、たまには自分を労ってみる。

今日は一日疲れた。実家の母は綺麗好きだ。うちに来ると「手拭きタオル汚い」「キッチン汚い」「髪の毛いっぱい落ちてるね」「埃が(以下同文)」などと色々言う。(ちなみに全く悪気はない。)そうだね〜などと適当な返事をしながら、「私だって綺麗な方がいいけど手が回ってないんだよ・・・」と思いちょっとイラッとする。(エビフライを差し入れしてくれたのは、感謝だった。)今日は特に、色々と両親世代と私とは価値観がもう違うんだ、という点に色々気づいた。私はもう実家とは完全に別の世帯を作っているんだな、と感じた。

 

少し寂しい気もするが、これが親離れ、子離れ。

外野の言うことにいちいち反応せず、しなやかに流したりかわしたりしながら、自分たちらしい新しい家庭を作っていきたいものだ。