歓びの歌~Ode to Joy ~ -2ページ目

歓びの歌~Ode to Joy ~

この時、この瞬間を

ここ数年、専門学校のある同級生のことを思い出します。


1,2年同じクラスで、一緒に出掛けたり少し悪いこともしたりした子。


彼女は作詞作曲をして、自分でピアノやギターも弾いていて、
卒業してからメジャーデビューしてた。

数年後は自主制作に移ったようだけれど、穏やかで一見おとなしいような地味なような彼女は、素晴らしい感性を手に活躍していたんですね。


今になって思うとその時には気づかなかったけれど、とても趣味が似ていたんだと思う。


ここ数年でたまたま彼女のサイト内のブログを目にして、
読んでいるうちに自身の好きなアーティストについて書かれている記事も読んだりしたから。


最初はとても風貌が変わった彼女に驚いたけれど、やっぱり独特のセンスというか嗜好がちりばめられた内容を次第に楽しみにしていった。

webラジオも時々やっていて、そこで聴く彼女の歌声はとにかく心地良くて、
美しくて、知っているどこのアーティストよりも心に沁みた。
どこのアーティストよりも、というより彼女だけの声、彼女だけがの持つものから発されているものなんだと。。


日々の喧騒の中、久々に彼女の歌を聴いたら、溢れる才能とその癒しに涙が出ました。


一息ついてから、自分が大切にしてすっかり自身のものになったのに、時々遠くに感じる愛おしいものたちを一周回想しました。

今日はそんな雨の1日。。。


下記リンクは彼女の歌と関連はないけれど、大好きな曲。

「As Tears GO by」(shine a ligthより)




私の富はすべてを買うことができない
子供たちの歌声が聴きたい
雨が地に落ちる音が聞こえるけれど
私はそれを見ながら座り涙があふれるだけ


長くなりそうですが。。


ビートルズの「リボルバー」は本当に好きなアルバムで、
先日、電車に揺られながらこの曲を聴いていたら
体が震えて仕方ありませんでした。

細胞が騒ぐのでしょうか。

素晴らしい芸術などに感動すると一瞬で体がうずいて、悪寒が走るのに
興奮も止まらなくなって、熱が爆発しそうな瞬間を迎えるのです。
それは私が歌ったりした時の活動名の由来でもあります。





先日旦那さんのバンドのライブを観に行った後に、
何だかいろんなことがもっと自分にもトライできそうだと心から思えました。


バンドの方たちは素晴らしい芸術家、技術者の方々で
私は観に行くと楽しい反面どこかとても冷たい気持ちになることがありました。


冷たいというのは自分の感情や可能性を殺す状態です。

諦めと希望が戦って、でも希望が譲ってしまうのです。


でも先日は何だか社会の縮図をみているようで、
ああ、私たちと会社の中での事柄と同じなんだなと。


もっと感情的なものが勝って感性が一番優先されてはいるけれど。



旦那さんと初めてデートしたときに、彼は「リボルバー」のジャケットの
バッチを胸に付けていました。

出会ってすぐにギターや内面、もちろんそれを表すルックス、すべてが
大好きになった彼と家庭を築くことや彼の家族と私の家族が
一堂に集う瞬間をとても大切にしてきました。

私は妻であり、何より大切なのは家庭を守ること。
彼を支える事。

しかし、今年私はその願いや役目は肩ひじを張らなくても
ずっと自身の一部として生きることが分かったので、
来年は、いや、今日明日からも彼以上に突っ走って
音楽や芸術に一心不乱になることへのためらいがなくなりました。


今年は頑張ったな、本当に頑張った。

そんな自分にギフトをあげたいと思っています。


「肩の力を抜いて無心で気持ちを緩めてごらん
 それは死ではない それは死ではない

 何も考えず 虚無に身を任せてごらん
 それは輝いている それは輝いている」




すっかり寒くなりました。


ブログを書くのは久しいですが、こういう時は大体自分を見つめて、あたりを見直しているときです。


今日久しぶりに椎名林檎さんの「ありあまる富」を聴きました。
TVで流れているのを聴いて改めてyoutubeで観たのですが。




彼女の詞は意図した古典的なものが印象的だけれど、
この曲のストレートな力強さは凄い。

こういう曲を聴くと、結局人の世の傲慢さも、それを受け入れる自分も
大したことではないと思える。


大体真面目さが損をする性格ですが、例え心身衰弱しても自分は最後の最後には
「それはいずれは捨てていいものだよ。もしそれが今だったとしても、大丈夫だよ」

と思える気持ちになるのです。


ああ、だから「MS大丈夫」なのか。












この曲をテーマにしただけで、「思い出のマーニー」は絶対に観なければと思った。

プリシラ・アーンの声、ギターをつま弾く音、素晴らしい歌詞。

彼女は30歳だけれど、永遠に少女を歌うことが出来るんですね。





この感性が自分をとらえて離さない、という人ならば、「思い出のマーニー」は観た方がよいでしょう。。。


今はもうすっかり大人すぎる年齢になったのに、いまだに切ない気持ちが爆発し、泣いてしまう。

結婚前はずっとどうしていいのかわからない漂う気持ちの時、夜中に膝を抱えて泣きました。

今は旦那さんの前で大泣きすることもありますが、これは何かを解決したくて涙を流すのではないんですね。
その時の涙の瞬間が嫌いではないのです。


私は幼少時、思い返すと可哀そうなくらいコミュニケーションが下手で、幼稚園で
男の子と同じテーブルでお弁当を食べるのが嫌で泣いたり、乗りたいブランコに他の子が載っていると、「まぜて!」とは絶対に言えず、庭の端っこでずっとずっとブランコを眺めていました。

人と関わるのが嫌で、いつもいつも「早く大人になりたい。お母さんがいい」を繰り返していた2年間でした。(うちの母親は自宅が仕事場だったので、お母さんになれば家から出なくていいと思っていたのです)


自分の気持ちは親にだって言えなかった。やっと思いを伝えた時には涙がぽろぽろ出てしまって、興奮している自分を抑えられなくて。幼稚園の連絡帳にもそういったことをいつも書かれていましたね。。。

今は自己主張を少し控えたいくらいの大人になりましたが、ルーツは大体一人ぼっちです。
愛情あふれる家庭で育ったけれど、こういうのは生まれつきなんでしょうか。


だからか、どんなに中学から学校がとても楽しくなったりしても
どこでだか自分の気持ちに線引きして、音楽を聴いている時だけが内緒の自分のようでした。


そういう気持ちはもう感性の一部として形成されてしまったので未だ持って私は
切ない爆弾です。
時々三つ編みの5歳くらいの自分を思い出して何とも言えない気分になります。



成長して青春時代になり、街中にいる自分、自転車をこいでいる自分、大きな声で歌っている自分。

私はプリシラ・アーンの曲を聴くと、そのすべてを思い返し、なぜかどこかへ帰りたくなる。


きっと少女の曲を聴くから同じように切なかった少女時代に浸りたくなるんでしょうねぇ。



本日で39歳になりました! 本当にサンキュー、サンキューです!


タイトルの「Happy birthday to me!」ですが、

素直に思ったことを書かせてください。


39年間、健康でいられた体をお母さんからもらえておめでとう。

大切に育ててくれた家族に恵まれておめでとう。

今も見守ってくれる家族がいておめでとう。

その大切な家族が増えておめでとう。

ずっと支えてくれる人が側にいておめでとう。

心のよりどころになってくれる人がいておめでとう。

幸せと感じ、美しいものを追い求める気持ちを持っておめでとう。

涙を流せるものごとがあっておめでとう。

怒れる出来事があっておめでとう。

叱ってくれる人、気づきを与えてくれる人がいてくれておめでとう。

夢中になれることがあっておめでとう。

感謝を持てる環境があっておめでとう。

真剣に悩み、解決を探したい世界があっておめでとう。


こんなに幸せなことないよ!!!!



私にいろんな気持ちをくれる沢山の人に大好きなシャナイア・トゥウェインの
「You got a way」を。




"あなたと私は道を持っている。あなたは私に信仰や可能性を持たせてくれた

私たちで愛を作りましょう。愛を測る方法なんてない

私たちが好きな方法でそれを守りましょう

あるがままのあなたを愛しています。だからそのままのあなたでいて。"


これからもどしどし頑張ります。

皆様ありがとうございます。よろしくお願いいたします。