どんなに離れていても、広島と長崎に心を寄せずにはいられない日
昨年父方の祖母が亡くなり(コロナじゃないよ)自分の周りから原爆の体験者が居なくなってる事実が、静かにぬるっと自分の周りにも広がっているのがふと不安になるのは私だけですか。

いってきます、いってらっしゃい
いつも通り交わした言葉を最後に大切な人が二度と帰ってこない。どこへ行ったかも分からない。
それが76年続いている。

亡くなった祖母も、健在の母方の祖母も、ここ数年自身の話をぽろっとしてくれる事があって、私の両親すら知らない話が突然出てくる。
もっと聞きたかったし、聞きたいし、忘れたくないし忘れちゃいけないから書いとく。


幼い頃から聞いてたのは、父方の祖母は学生で、通信の仕事をしている時に建物ごと吹き飛ばされたけど、助かったって話まで。

ここ数年初めて聞いたのは、原爆投下から数日後、田舎から探しに来てくれた父親と再会したって話。
あの時のお父さんの顔は忘れられない、って言ってた。

探しにって、車で1時間半はかかるいくつも山を越えた場所。当然電車も車もないだろう、恐らく歩いて、娘の無事を願いながら市内に向かった心情を想像するだけで苦しい。

さらに、原爆のあと一度目の結婚をしたけど子宝に恵まれず、原爆のせいだと離縁させられ、私の祖父との結婚は二度目で、実は祖父も二度目だったらしい。
聞いた時びっくりしすぎて声が出なかった。
でも祖父との間には2人(父と叔父)しっかり産まれてるんだから、ねーっ((笑 って。


母方の祖母は家にいて、朝仕事に出かけた父親と姉にその日から二度と会うことはできていない。
最近知ったのが、作った練炭を売るお店を舟入でやっていたそう。
母親に、2人を市内へ探しに行くよう言われて本当に嫌だったと言っていた。


あの時代の恨みつらみ哀しみを心に秘めながら、自分の世界を広げて日常を送る。
そんな人達が身近にいたから、やりたい事を存分にやらせてもらえる時代に存在している意味とか考えちゃうんだな、答えは出ないけど。
生きる心の強さは受け継いでる気はする。


写真は、父方の祖父が戦争へ行く時の近所の人たちからの寄せ書き。
仏壇のうしろから出てきたらしい。
祖父は、爆撃を受けて戦艦から海に落ち、他の戦艦に助けられた。けれどまた爆撃を受けて再び海へ。
何時間も泳ぎ続け、助かったらしい。

母方の祖父は、シベリアで捕虜に。
酷く寒かったと言っていた。


知らないままじゃいけない気がする。
けど、積極的に聞いて良い話でもない気もする。
思い出させることになるから。
でも少しは聞いて欲しい(欲しかった)かな…
どうかな、、