第1回 発端 | a depressed and fragile mechanical engineer

a depressed and fragile mechanical engineer

うつ病患者として、機械技術者として生きる小市民が、仕事や治療の日常生活、裏話、ウンチク、経験談、失敗談を綴ります。それと並行して読書で出合った本の紹介と論考を披露します。

こんばんは。

機械技術者「おだぐ」です。

 

企画「ソースコードは書くのか?読むのか?」の第1回目です。実質的に第1回目です。

 

さてそもそも私が

 「ソースコードって何なのだっけ?」

あるいは

 「機械屋さんである私にとってのソースコードって何?」

と考え始めるに至った発端を書き記そうと思います。

 

 

私がここ2年間くらい参加しているオープンソースカンファレンス(OSC)という会合、勉強会があります。ソフトウェア系の技術について様々な方が興味深いお話をしていただけるので、興味本位ではありますが、また私の専門外の技術領域ではありますが、継続的に参加しています。

 

2022年5月の名古屋で開催されたOSCにオンライン参加した時にオープンソースソフトウェア協会(OSSAJ)という団体のミーティングを聴講しました。このミーティングこそが正しく私にとっての「発端」でありました。

 

公開されている記録を見るとミーティングのタイトルは

 

「【MTG】ソースのレシピはオープンか、名古屋だけに」

 

となっています。複数の発表者がソースコードをオープンにする、公開することについて、その是非も含めて議論する形式をとっています。

直接的には「ソースコードって何?」という問いかけにはなっていないのですが、聴講した当時の私の中には驚きを含めて幾つかの感情が湧き上がりました。

 

・ソースコードについて議論するという切り口が私には発想すら出て来ないよ!

 

・そのテーマで持論を述べたり議論できるこの人たち凄い!

 

・ソースコードをオープンにする話題以前に、あれ、ソースコードって何だっけ?

 

・私、今の自分に対して「ソースコードってこういう代物ですよ」って説明できるかな?

 

・会社の同僚に「ソースコードって何ですか?」と質問されたら、自分の言葉でちゃんと説明できる?定義できる?

 

・あれ、あれ???

 ソースコードについてちゃんと言語化しようとしても上手く言葉にならないな…。

 

という感じです。

もちろん当時リアルタイムにこれらの感情を上のように言語化できた訳ではなく、聴講後に時間をかけて自分なりの問題意識を定める過程でようやく言葉にできたものです。

 

実際ミーティングを聴講した時には質問ができませんでした。それは言葉が出てこなかったからです。自分の中の感情を思考として整えることができませんでした。今振り返るとそれも仕方なかった気はします。私が「ソースコードって何?」を自問して半年以上経ってもシンプルな回答には到達していないですから。

 

まあしかしそれでも私が考察を深めるきっかけになったのは間違いなく2022年5月のOSSAJのミーティングです。

 

改めてこのミーティングのYouTube上の公開動画を見返すと実際に議論されているのはソースコードの「オープン性について」であって、「ソースコードって何?」という問いを正面から議論している訳では無いようです。それでも私の中ではそのような問いが生まれてしまいました。生まれてしまった以上は無視はできません。誠実に向き合いたいと思いました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

実は私は当初「ソースコードって何?」という問いを純粋に技術的な問いだと思っていました。これは今では勘違いだったと考えています。

 

何故なら私は年齢によって「ソースコード」というものとの付き合い方や認識が変遷したことを受け入れる必要がありました。もっと明確に言えば、私は高校3年生まで「ソースコード」という単語を知らなかったのです!私がソースコードという語を知るのが大学に入ってからのことであり、自分の語彙として使うようになるのは20歳以降です。

 

と言うことは…。

私は「ソースコード」という語を知る以前の若い頃にはソースコードとは無縁の生活を送っていたのでしょうか?

いや、それは違うと考えます。

 

大学入学前にBASICプログラミングには触れていました。と言うことはBASIC言語で記述されたソースコードは読んでいた時期があった訳です。

 

加えて言えば、しかも重要な点でありますが。

私は初代ファミコンで遊んだ世代ですし、ゲームウォッチも遊んだし、そもそも親同伴でゲームセンターでアーケードゲームを楽しみました。つまり身の回りに「ゲーム」と言う種類のソフトウェアが急に増えた時代に生活していたと言えます。私がソースコードを意識せずともゲームの背後にはソースコードが記述されていた筈です。

 

こんな私がソースコードについて語るならば、ゲーム小僧だった幼少期を含めてソフトウェアとの付き合いを掘り返す必要があります。少なくとも私はそう思います。

 

と言う訳で次回以降は私とソフトウェア、私とソースコードの付き合いを振り返る作業を進めてみたいと思います。