『要領がいい』


処理能力が高い

という事だ。


時に陰口で


「あの人、要領がいいのよ」


と使われる事があるが

要領がいいとは

実際は褒められるべき事

である。


違う言い方をすれば


『手際がいい』


とも言う。


「あの人、手際がいいのよ」


はあまり悪口に聞こえない

のはなぜだろう。


要領がいい

手際がいい


という事を


僕は


『要領力』


と呼んでいる。


この要領力は

どういう効果があるかと言うと


「時間を巻く」


事ができる。


かつて

『時間の教科書』

という本を出版した事があるが


一日24時間

平等に与えられているようで

実は平等ではなく

巻けばそれだけ

その人の時間は

伸びる。


この

本来は同じ大きさの箱を

与えられているにも関わらず

その中味の量を変える力を


僕は


『容量力』


と呼んでいる。


この

音が同じ

『要領力』と『容量力』

は密接な関係にあって


『要領力』があれば

『容量力』が増えるのだ。


分かりやすい例で言えば

料理がそうである。


要領、手際により

その味、盛り付け、片付け

全てに表れて行く。

そこに

関わってくる

一番のもうひと軸のグラフが

『時間』だ。


料理は『時間』との

戦いでもある。


そこには

温める

冷ます

煮る

焼く

溶かす

など時間と密接に

関係したものが

ついてまわり


さらには

それらの能動的な

ものではなくても


冷める

焦げる

溶けすぎる


という受動的な時間との

戦いまでもが含まれる。


だからこそ

この要領力が

料理という時間の箱の

容量力を高めていく。


妻は料理本を出しているが

この要領力と手際における

容量力が高い。

A型の整理整頓力も加わってか

料理が完成した時には

片付けも終わっている。


日々の『旦那さん弁当』も

電光石火の短時間だが

完成品に短時間など

全く感じさせない。


しかも

一眼レフで

写真まで撮っている。笑


これは

持って生まれたものであり

子育てを見ていても同じである。


この『要領力』と『容量力』は

人によって違う。


時間のことを

つい人間は


「まっすぐな直線」


をイメージしてしまう。

そこに何時何時と

刻まれているように。


でも

それは

大いなる勘違いである。


時間とは

直線ではなく

知らんが

ビッグバンのように

360度×360度の

球体が膨張するように

進んでいるのが


時間


なのではなかろうか。


そう考えた場合

料理一つ例にあげても


右の鍋には煮るという時間が

あるベクトルに進み

左の冷蔵庫では解凍という時間が

また違うベクトルに進んでいる。


こう考えただけでも

時間とは直線でない事がわかる。


『時間の教科書』

で時間は操れる

と書いたが

こういう事も含まれる。


子育ても同じ事が言える。


時間がない

時間が足りない


と考え

そんなに同時に

いろいろできない


と思ってしまい


大変だ


と考える人は

時間を直線と

捉えていないだろうか。


大変だ

と感じる人もいれば

頭でなく感覚値で

時間とは直線ではなく

多方向へ広がって行く

無数のベクトル

と分かると

それは意外と

また違う感想を

持つ。


これこそ

人による。


前にも書いたが


十人十色。


それでいい。


しかし

気付いたもん勝ち。


自分の定規で人を

語るなかれ。


時間という概念だけでも

直線と膨張する無数のベクトル

と思うだけでも

極端に違うのだから。


おちまさと


ここで

語っている

時間への観念は

僕個人の観念なので

物理学的とかそういうことは

全くわからんので

適当に読んで下さい。笑