いつも

村上春樹作品からは

たくさん

気付かされ

学ばされる。


ネタばれに

全くならないので

書くが


今回の

『1Q84』BOOK3

からも

早くも

色々気付かされた。


その中で

今のところ

最も刺激的な

言葉は


『時間は直線ではない』


という言葉だ。


人間はつい

時間というものを

直線で考える。


確かにそうだ。


もしかすると

それは

小学校の時の


時間割


などから

知らず知らず

そう考えてしまって

いるのだろうか。


加藤茶は

「歯磨いたか?」

「宿題やったか?」

と土曜の8時50分頃

言っていたし


サザエさんは

「さーて来週のサザエさんは!」

と言う。


全ては

直線的である。


夏休みは

8月31日までの戦いであり

8月31日になって

その直線の定規を

埋め合わせしようとする。


このように


人間は

つい時間と言えば


過去現在未来


昨日今日明日


朝昼夜


とつい

時間を直線で

考えている。


しかし

実際

時間とは

直線ではない。


今回

村上春樹さんには

早速そこを

気付かされた。


よく考えれば

時間とは

直線である訳がなく

それは

とても宇宙的な

360度の

そのまた無限に広がる

360度という


ある種

宇宙的広がり


とでもいうべきか


膨張


というべきか


ビッグバン


というべきか


そういう

決して直線ではない


あらゆる方向への進行


が本来の


時間


なのだと

気付かされた。


つい

これは

忘れがちである。


逆に言えば

直線なんて

簡単な事で済めば

苦労はいらない。


直線で考えようとして

考えに詰まるから

人間は悩んだり

迷ったりするのかもしれない。


時間を

直線で考えるのは

人間だけらしい。


それは

便宜上

楽だから

そう考える。


しかし

時間とは

本当は

そんな単純なものではない。


これは

何かに似ている

と思ったら


それは

母のお腹の中の

子供に似ている。


子供は

まずは

脳ができ

そして心臓

などという

直線的な成り立ちを

する訳でなく


全体的に

血管も

臓器も

骨も

全てが

形成されていく。


それが

本来の

時間な気がする。


だからこそ

僕らが思う以上に

もっと

時間とは尊く


逆に言えば

直線的でないのであれば


コントロール

できるもの


なのだという

勇気もわいてくる。


なぜ

あの人は

同い年なのに

こうも違う


とか


なぜ

あの人は

同じ時間を

あんなにうまく

使えるのか


など


という秘密も


もしかしたら


時間を


直線的に捉えるか


それとも


360度×無限360度


みたいに

捉えるかで


随分

差もでるし

コントロールも

ハンドリングも

できるできないに

分かれるような気がする。


朝ごはんを食べて

昼ごはんを食べて

夜ごはんを食べて

飲んで

カラオケで歌い

飲み過ぎて

睡眠不足で

今日になり

辛い朝を越え

昼ごはんを食べ


という

直線的な時間を

一度捨てて


もう一度


時間という概念


を考え直すと

何かヒントが

見つかるような

気付きを


『1Q84』BOOK3


から

今日感じた。


まだ

読み終えていない。


おちまさと


BOOK1・2を

ハワイで読んだ事を

3を読んでいて

思い出した。


ハワイで

読みたい。


でも

今回は

日本で読む。


それもまたいい。