ブログを書いて

数時間経つと

また相撲について

色々思い付き

書きたくなってしまう。


もしかしたら

相撲界が

大好きなのか?笑


ところで


伝統と格式を

重んじる相撲界。


そこを重んじるが

時代と

実際の人気との

歪みが出て来て

不祥事のような

出来事が連発

している。


しかし

そんなに

本当に

そこまで

伝統と格式を

守りきって来て

いるのか?


ちょっと

大昔の相撲界を

見ると


ある横綱は

ハワイからピストルを

持ち帰ってしまい

後になり

いけないと気付き 

隅田川に捨てた


とか

笑っちゃいけないが

笑っちゃう程

もう漫画みたいに

ムチャクチャな事が

あったりする。


しかし

その時

引退していないという事は

引退勧告とかもなく

何気に乗り越えたのだろう。


昭和のある種の

どさくさというか


そういう

破天荒ぶりまでも

横綱の存在の一つ


として

国民や

というか

国民なんて

今回の問題だって

いいとも悪いとも

正直どうだっていい

と思っていて

要は

当時のメディアは

スルーしていった

のだろう。


それに

伝統と格式を重んじる

という割には


じゃあ

江戸時代にも

横綱審議委員会

みたいのがあって

関取の不祥事を

チェックする機能など

あったのだろうか。


なかったとしたら

それは

すでに

伝統と格式から

ずれているではないか。


伝統と格式というのであれば

徹底的に相撲が生まれた時と

全く同じでやるぐらいの

意気込みでやれば

いいのではないか。


そういう

コンプライアンスみたいな

ところだけは

21世紀の企業的な仕組みを

取り入れて


アスリートである関取には

江戸時代の伝統と格式で

というのは

まるで世間体と体裁だけを

整えて

実際子供は家庭内暴力

みたいな

仮面家族のように

ある日

暴発してしまうのは

時間の問題な気がする。


しかし

土俵でさえも

昔は4本の柱が

天井を支えていたが

ある時から

柱にぶつかるので危険

と4本柱をなくし

天井を上から吊るすように

なったように

やはり時代と共に

変化は付きもの

なのだ。


その変化の

さじ加減が

重要なのだ。


それが

今は


仕組みは変えるが

お前らは変わるな


という事なのだろう。


それでは

またずっと同じ

繰り返しをするばかりか


肝心な人気は

右肩下がりに

なっていく。


そして

人気力士

強い力士を

育てる時間がないと

外国人力士を

どんどん入れる。


もはや

気が付けば

土俵上は

K-1のように

様々な国の力士状態。


この

『相撲ワールドカップ』

に企画変えをしておいて


伝統を力士に押しつけるのは

いかがなものか。


しかも

海外の人に。


これから

短絡的な企画しか考えない

相撲協会は

この

『スモ1グランプリ』状態

に拍車をかけていくような

気がする。


サップみたいな力士や

チェ・ホンマンみたいな力士

とかガンガン現れる。


ハイスピードで

人気を取り返そうと

パワーのある

外国人力士だけに

頼ると

まさに

伝統と格式とは

真逆のベクトルで

進むという

スパイラルに

入って行く。


それを覚悟すれば

いいのだが

そんな元々の

大相撲とは全く違った企画

になっているのに

選手だけ

相撲が生まれた日の

精神状態にするのは

無理だろう。


昨今の相撲協会は

いろんな事を

やりっぱなし。


思い出せば

薬物問題

弟子暴行事件とか

いろいろあったが

解決したんだか

してないんだか。


CMでも

歌ってるように


ぱなしは

なしって話です。


僕なんかからすると

この苦しい時期

相撲協会が

どういうプロデュースを

見せるのかが

楽しみである。


変えなければいけないが

変わってはいけない


それを成し遂げながら

人気を上げる


なかなか

至難の業である。


おちまさと


一度

大相撲の

『そもそも論』

に戻ったら

何かヒントが

あると思うのだが。


企画は

困った時は


『そもそも論』


の初期設定に

帰る事が大切

な気がする。