「書ける人」になるブログ文章教室 | ELECTRIC BANANA BLOG
2011年08月11日(木) 11時18分24秒

「書ける人」になるブログ文章教室

テーマ:書物

読したわけではないんだよ、ハニー。もちろんめ読みしたわけでもありませんが、意表を突く意味でも、突然の更新です。

 

て。

 

またしても、んでしまったものしょうがないではないか、昨日明日といったのはまた明日だ。というと、これまた御興を買いそうだし、いろんな意味も込めて、臨時にアップだ。コレがまた読後感想文だけは、読んだらその場で書いて揚げる、というルールになっては私もしんどいので、そこら辺は昧にしつつ、でも不満のある方は、ぜひ、このブログ へ行けばいいじゃないさぁ。

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ケンさんいかける、と決めたのは、実は意識的に、だった。本を読む、ということに疎かった私は、ある日突然、本を読む、という力にとりつかれ、でもどういうものを読んだらいいのだろう?と迷うのは、いつものこと。何か針を持って、そこから枝葉を広げてゆく、という方法論は、実はおざなりになったゲームの話とも関わるので、覚えておくんだよ、ハニー。

そこで、ケンさんに目を付けて、この人の作品をどこまでもいかけよう、と決めたのだ。つまり、私がきな作家はケンさんです、と言いたかったのだ()。好きなアーティストは?好きな漫画家は?好きな女優は?と同じレベルであるので、ケンさんには大変し訳なく思っています。

何故、ケンさんだったのか?今となっては、良くえていません。タダ、それは二十歳になった後だったような気がするので「ロックス」とか読んでいた後だった気がする。そして、そう決めた自分に強く信を持ったというか、確信したのは「さよならの挨拶を」を読んだ時。こっからもうれられなくなったのね。

 

とはいえ、昔は今みたいに新刊情報、とかって簡単に知ることも出来ず、そういうルートもあるにはあったんだろうけど、あくまでも私にとっては音楽のだった。なので、現実は、時々離れるというか、そういえば最近読んでないよな、って感じで思い出したように本屋にしに行ってみたり、という感じだったので、そのことに関してもケンさんにとっては良い読者ではないのをお詫びしておきたい。

新刊が出る度に購入し、古本屋をり、ブログを読み、あろう事か読後感想文までもひけらかそうとするようになったのは、ここ最近四、五年ほどのことではないだろうか。以前話した、STONESけてケンさんに会いに行ったよ、という頃は、HPBBSSTONESの情報を集めに行っていて、という感じでまだまだ、熱心な読者ではなかった。まぁ、際に逢って、より深く、ケンさんを身近に感じた末に、今こうなった、というのもある。

 

前置きが長くなったが、ケンさんの著作は何でも読もう、やっぱりれているから読みやすいんだよね、という気持ちでいる中で、この作品というか、このエッセイというかは、鬼門。実は、けていた一冊だったのね。

 

それは、正直に告白すると、私は文章を書く、ということには長らくしんできた。今だから言いますが、い頃は新聞記者になりたかった。理由はちょっとなんだけど、それは置くとして、書くことは単純に好きだったから。小学生の頃は、友達とお話を原稿用紙に書くのが面白くて、良くそうやってんでいたし、その後も創作ノート的な、日記のような、そういうものを書き連ねていた。

まったくのしま♪さん歴史に入っているが、一度はあの天下の新風舎から自費出版をしたこともある。エレクラのテキストは必ず私が書いていたし、詞もそれ相応に書いている。

 

ただし、これらの過去は、一度全部ててしまった。エレクラ崩壊大騒動の時に、先日の「さくらの唄」の時に話したように、自分の中にある去を象徴するものを、ほとんど捨ててしまったのね。その時にうしても捨てられなかったのが、ケンさんの本なんだけど。

そしていろいろあって()、そのいろいろあった経験をストーリーにすると共に、このブログをめた。私にとって、言葉を連ねる、というのは、当たり前のことであり、たぶん、音楽よりも意なことだと思っているのね。

 

その結果、なんとなく、自分の中で自分らしい文章が書けるようになって、それを識するようになったのがこのブログを初めて一年ぐらい経った頃。私は、元来、たくさんのおさんに、キャーキャー言われればお金なんていらないし、何ならキャーキャー言ってくれる人のためにつらい労働も難なくこなす、という趣旨の持ち主なので、コレはキャーキャー言われるに足る面白い自分が出来たぞ、というのは自信にもなり、結構嬉しかったのよ。

自分らしさ、にするのが、私の場合エレクラの称号で、いわばようやく私の中の表現のひとつにまで、自覚的に文章というものが昇華した、ってことなのね。

 

時々、語り口の話 なんかで、そういうことも言って来たつもりだけど、まぁつまりは書くことに関しては、っといてくれ、というのが私のスタンスで、確かに常識はずれだろうし、誰も面白いとは言ってくれないだろうし、人気もねーしお嬢さんにもキャーキャー言われないし、ということはわかっていても、あらためて文章教室なんて、という感じだったのね。

更に、それがケンさんの言葉だったりすると、何かを書いている時に、絶対ににする。ああケンさんがこういうこと言っていたけど、こんなコトを書いていたら怒られるなぁ、われるなぁ、なんて事を普通に思っちゃうのね。そういういは、事実、表現にはやっかいなものでして。

 

まぁ、でもを決して買うだけ買ってみた()。読むのはずっと後でイイと思っていて、半ば印していた。でも、日読後感想文を話した「日曜日のiMac」に、小説の書き方、みたいなことが書かれてあったのね。それはこの本にも録されていて、ケンさん自身でバージョン2.0だ、とおっしゃっている。

それがかろうじて、私を圧するものではなくて、まぁエッセイとして読めるものだったのね。つまり、私と相反する所ではなく、こう言うと誠に遜だけども、私が培ってきた表現というもの、それは音楽も含めてなんだけど、何かを伝えることの真実、と同じコトだったから、この本にチャレンジすることにしたのよ。流れ的にも、学つながりということで。

それでもどこかに、もしかしたら、の怖さは残っていたんだけど、読み終えて、心した。ある意味、私は違ってない、とちょっと思った。ケンさんの最大の難関リア、という感じかもしれない。

 

絵心がない私は、表現として主に音楽に寄り添ってきて、文章はそれとつかずれず、でもどっちかというと意識的に音楽があって、無意識に言葉の表現がそれを補完する、という感じでずっといたのね。でも、今はどっちかというとこのブログに存的な、かなり文章表現に特化した毎日を送っている。

それは、敢えて言葉の表現、というけど、それこそが一番ラディカルで、由だと感じるからなのね。この自由は、規制がない、という意味ではなくて、また、映画や音楽やテレビにべて、なんだけど。私は機能制限、というものがいで、だからなるべく欲しいものは正規のものを買うようにしていて、どうでも良いものはテキトーに落とすようにしているのね。つまり、このソフトにはあらかじめ来ないことがありますよ、というのが嫌いなのね。能力の限界が、既に決まっているのは、可能性としてしい、とモチベーションが下がるからなのね。

 

音楽なんか特にそうだけど、西洋音楽は特にルールがい。それはハズれた音、というのが在するんだけど、間違ってはいないわけ。あっても良いけど、不快だとか、聴く人によってはせない、ということなのね。そういう意味では、可能性は限だけど、自由ではない。

それよりももっと、言葉の世界は、自由の度が広いし、それだけに他人を傷つけることもあれば、他人を癒すことも出来る。音楽で世界を変えることは難しいけど、言葉なら来る気がする。そこら辺は、ケンさんとも意見がかれる所だけど。

自分を表現するのに、どこかに約があるのは仕方が無いと、大人になるとわかるもので、だったら可能性の大きい方がイイと思うのが人情。それが私には、音楽よりは章、ということだと思うのね。ただ、表現自体のうさも感じているけど、それはまた別の話なのね。

 

私の中で音楽は、やはり音楽でしか伝えられない部分があるし、なにより、文章で伝えることが出来た時の歓び以上に、あのギターソロを弾けた!というびの方がずっと巨大で、オシッコだだ漏れ、ぐらいの感動を得ることが出来るから。しかし、そういうのはなかなかってこないもので。そしてやっぱり、頼の置ける人間との共同作業、ということに繋がるのかな?

 

そういう意味では、このブログ、誰かと繋がる機能は備わっていても、繋がることをめてはいない。私は少しそれを省している。今年の半分は、お休み、という形を取ったけど、それは前にも言ったけど、りにのみ限定されたコンテンツは、刺激的で面白いのだろうけれど、どうもやっている自分自身が荒んでいくことに拍車がかかるような気がして、それで止めたのね。ほとぼりが冷めるまで、冷却間をおいたのよ。そのトラブルは解決されたわけではないけど、私はち着いている。

それと関連して、再開に当たって、この休み中にないがしろにした、誰かとがる心、みたいなものを、反省して、ひとつ決めたのが、なるべくコメントを印そう、と思ったのね。別に、尊大なワシは、見る側でなく見られる側なのじゃ、という意識でコメントをしなかったわけではなく、私ごときがするコメントで、せっかくのブログの雰囲気をしては申し訳ない、と思っていたからなのよ、コレホントだよ。

 

それでは何か、申し訳ないというか、やっぱりきなことは好き、と伝えた方がイイじゃないか、と思うのね。それで、なるべく、このブログにコメントしてくれた方には、相手には知らせずに読者登録をして、そしてなるべくコメントをそうというか、それでもコメントし辛いブログもあるんだけど、アクセスアップにせめてもの貢献を、と思うのね。

ただ、前にもあったんだけど、私はどうも褒められるのは嫌いではないけど、手なのね。びを売られているというか、褒められるほど特別なことを言っているつもりもないし。だからといって誹謗中傷を望む、というわけではなく、それはもとよりご弁。

 

それよりはね、り添う感じ?

 

私のブログって、何故か奥様方に人気で、たぶん、ある程度自分の活基盤というか、寄って立つ位置、というものが確立している中で、一服の清涼剤的な感覚?これからそういう家族、というものを据える方にはちょっと物足りないけど、ちょっと愚痴っぽいというか、そういうのは言うのも聞くのも楽しい人たちに、されているのかな?とか()

まぁ、それはどちらかというと、私の方から、誰かに寄り添っていけるような、そういうコメントをせるようにしたい、ということなのね。私はともすれば、自分の伝で終始しがちなんだけど、ちゃんと記事を最後まで読んで()、ちゃんと考えて、気を遣って、という当たり前に、誰かに寄り添っていけるブロガーになりたいな、と。

 

だから、そういうコメントを求めているし、そういうコメントをしたいと思う。そういうことを、最近ちょっとってる。

 

くなったついでだから、たぶんここまで読む人はいないと思うので、最後にもっとヤボーをひけらかしておこう。ケンさんシリーズは、後一冊ポルシェ本があって、それで今回は終わるんだけど、前回の「ロドス」の時とは違って、ケンさんにはおらせしてないのね。古本屋で買った、というい目があり、更に最も重要なのは、まったく感想文になっていない、ということ。さらにはこの御時世で、原発容認派、というトンでもないことをってしまった手前もある。でも、酒の肴に、というと失礼だけど、こういうことを感じてまっせ、的なことを話してまっせ、的なことはわればいいな、と思うのね。

だから、誰かげ口してくれないかなぁ、とか思う()。こんな輩が、あなたの高な作品に、こんなこと言ってますよ、的な感じでもいいから。それでまた、ケンさんがオイオイ弁してくれよ、的なコメントとかしてくれれば嬉しいな、なんて。

 

つまりね、そういうブ的な存在にこのブログがなるのが理想なのね。もちろん、私の文章なり、エレクラの音楽なりに感動してくれるのも嬉しいんだけど、私をみ台に、ケンさんの反原発の話に共感したり、また一番嬉しいのは、私もブログを始めてみよう、音楽とかやってみよう、そして、一緒にやりましょう、的な感じが広がるのが理想だな。

表現というものは、誰でも可能だけど、そこから先を見据えるには、きっと、理想とか、自分の可能性とか、そういうものを本気でじさせる能力にあると思う。為せば成る、ではないけど、それにはやぶれても山河を駆けめぐるほどに、常に続けていないとね、と思う。

 

だって私だって、やりけているんだからさ、ハニー。

 

なんてね、いつも以上に長い記事を最後まで読めたかなコレはちょっとした戦だぜ、って言ってみました。表現に関して言えば、もう一つ大きな題があって、時々言っているけど、人か?作品か?という問題なのね。それは、今度一度じっくり、してみたいと思うのよ。それに適したとても分い本を手に入れたので、ってコトで。

 

それでは今日はこの辺で、ごきげんよう。

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