あなたの懐に飛び込む日 | ELECTRIC BANANA BLOG

あなたの懐に飛び込む日

っていたよ、ハニー。かつてアレほど苛烈を極めた読書も、松下さんデレデレの終了と共にすっかり意気消沈。一番の障壁は、朝寝坊をして更に二度寝、三度寝、昼寝、をり返すことにある。必要以上に寝るので、悪い夢を見てされる。昨日の昼近くも、あの園地でグルグル前にうしろに回転するアトラクションがあるでしょ?アレがなぜか商店街のど真ん中というか、道路に面したところにあってちょっとした街のスポットになっていて、それを私達も見上げていたんだけど、するとどうしたことからその座席からぴょ~んと子供がび出してしまう、という事故を目撃した。頭がイタ~イ、といってき叫ぶ子供を、これは大事件だな救急車はまだか、と思いつつ手持ちのデジカメで辺りを撮りまくる、というなんとも目覚めの悪い夢に魘されて起きたのね。

 

て。

 

日は、Keithの誕生日である、と同時に、ICEの宮兄ぃの命日である。毎年、この日を迎えるのはなんとも雑な気持ちだ。どちらもワタクシ、更にエレクラに多大な響を与えた人物だが、今年は若干、趣が違う。というのも、毎日、彼等のギターフレーズをいているのだ。Keithの方はマダマダだが、宮兄ぃの方は何とか弾けるようになって、といっても自己流だけど、でも、それはどうしても弾いてみたかったソロだったので、毎日慨深いモノを胸に感じながら弾いている。

そして、しずつ、今日という日を感じながら弾いていたんだよね。

ICEについては何度かここで話をしたし、また宮兄ぃの死にち会えなかった悔しさの話もした。エレクラで実際にスペクトした曲も公開したことがある。でも、まだまだ、拘り続けるというか、きであり続けることは変わらないと思う。昨日もリンクを施した拙いストーリー にも書いたけど、人がするもっとも残酷なことは、れることだ。だから僕らは必死になって、忘れない力をする。忘れないためには、ずっと何かをけることが一番だ。

そうそう、ICEは今年活したね。まだ見てないけど、早く新しい音を聞きたし、何時かはちゃんと感したいな、と思ってます。

 

て(reprise)

 

前回STONESを見に行った話は、このブログの最初の頃にやはり話をした。その時は、ちょうどブログが行初めの頃で、賢い人はもうドンドン始めていた。私もネットにどっぷりの頃で、そういうネットのコミュニケーションの中でえる初めてのSTONESだったような気がする。その前も、ネットは整備されていたけど、チケットをはじめとして、全にネットが主役の来日だった。

ちょうど私が足く通っていたのは、ここでもリンクを貼っているBridge to the STONES と、鮎川誠さんのBBS 、そしてケンさんBBSだった。ブログも始めてらっしゃったけど、それよりはホームページのBBSの方が情報の遣り取りは繁だったのを覚えている。

 

で、ケンさんといえば、私の胸にSTONESの名をみ込んだくらいの人であるから、何か一緒になってお祭り騒ぎが出来てとても楽しかったな。ケンさんも少しかれているような気がして、何か大きなうねりのようなモノを感じた。そして最終的には、ライブの後オフ会に加することになるんだけど。

そうそう、あの時に、ケンさんがコピーコントロールのCDはイヤだから輸入盤を買ったよ、誰か歌詞を教えてくれないかな、とBBSで言っていたので、私があるSTONESの歌詞を片っ端からアップしているサイトを教えてあげて、ケンさんにありがとう、なんて言われたんだけど、えていらっしゃるだろうか?

 

それはさておき、その時に、ケンさんが、かつてKeithMickにインタビューしたんだけど、その本が絶版になって読めないから、ブログにアップしたよ、こういうのはSTONES好きの共有財産だからね、といって実際にブログだったか、特設HPだったかにアップしていたのね。

私はそれを見て、っ腹だなぁ、と思ったのね(笑)。ちょうどその一方で、ケンさんは「ローリング・ストーンズ伝説の目撃者たち」という本も版したばかりで、何ならそこにインタビュー記事を載せる、ということも出来たはず。つまり、財産をり占めすることも出来たはずなのね。

だから、そういうケンさんの姿勢に、私はとても感したんだ。その時以来、ネットは共有というもっとも大切なアドバンテージがあるんだ、ということをえるようになった。それよりはもっと後になってからだけど、エレクラの曲を半ば流に近い形で、好きに弄んでくれればいい、って感じでネットにアップするようにしたのね。

 

結局、このネットがデジタルというモノを更に一歩前に進めたようながしたのね。それは結局、そういう著作権の発生するモノでお金儲けをしよう、ということに逆に限を設けてしまったと思うのよ。それが昨日までの話で、今日はコレから未来のことを話そうと思うんだけど、まぁ、簡単に言えば、これからはお金儲けの道具にはらなくなる、って事なのね。それどころかますます管理はしくなるし、杜撰な個人がなし崩し的に門戸を開いてしまうことにもなるだろう。そうなってくると、逆に著作権の保護期間を短縮して、更に簡便に放の方向へ向かうような潮流に変わるかもしれない。

 

それは事実として、作家さんやミュージさん、他表現に関わる多くの人の職をうことになるかもしれない。更に言えば、のいくつかを奪うことになるかもしれない。

でもね、おにならないから、といって音楽を辞めるだろうか?小説をかなくなるだろうか?絵や彫刻をめてしまうだろうか?

 

私はそうはわないのね。少なくとも私は、まぁ、今もそうだけど、一度だって音楽をおに換えたことはないし、こういう話も好きだけでしている。責任はないけど、セルフ・ントロールは大事だと思いながらやっている。あくまでも趣味、と割り切っているけど、私自身の大切な何かをえていることも解っている。

たぶんもがそうだと思う。趣味でヤル、好きでやる、という点に戻るだけだ。昨日も言ったけど、それでも著作権というモノは自然に発生するモノで、もしお金になるとしたら、それを犯した時にだけ、損害賠償、みたいな権利確認みたいな感じで、発生することは考えられるけど。

 

もし、著作権ビジネスが成立しなくなって、そういう表現が無法地帯になったり、何というか見向きもされなくなるとしたら、それはそれだけ化というモノに対する認識の低さ、程度の低さを現すコトになる。たぶん、AKB商法やら、アルファ商法やら、恥ずかしながらSTONESのように、リマスター毎に値段をつり上げるごとき商売をやっている人は、真っ先にり投げると思う。

 

するとね、これからは本当に私達のに、表現が戻ってくるような気がするのよ。

 

今年は事あるにこのことを言ってきたような気がするけど、これからは政治とか、表現とか、その他諸々の制度疲労を起こしているモノを、ドンドン市民の手に戻して、一からやり直すみたいなことを少しずつはじめていく時だと思うのね。もちろんそれは、共、という名の下に個人の負担は増え、見返りは無いに等しい。

 

それでも値はある。

 

そういうことを改めて見すべき時が来ていると思うのね。一時期、官から民へ、ということが大きく叫ばれたけど、それが叶ったかどうかは別にして、既に時代は、プロからマへ、という時代に来ているような気がするのね。私達はその苗床として、こういうブログでもなんでもイイから、自分たちの表現、というモノをに入れようね。今からでもくはないよ。

で、そういうことを十年も前からやっているエレクラを見いなさいよ、そこのお嬢さん方、シャチョーサン地主さん。さすがだね、と思ったら出すモノ出すか、脱ぐモノ脱げよ、といういつもの調子でお茶を濁してみたりして。

 

なんてね、そいつでいんだったら私にしとけば良かったのにね鬼塚さん、って言ってみました。私だって最近はガンプラ見に具屋さんに行くし、エ?もしかして鬼塚さんMGとかいに玩具屋へ?もしかしてランペッターのヤクトティーガーとか?それはさておき、私は確かにそいつの暴力並に神的にヘロヘロにするけど、対に手は出さん、って事で。

 

それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。