宝塚・紅組 | ELECTRIC BANANA BLOG

宝塚・紅組

りそうで無いんだよね、ハニー。昨日の姫、及び皇子の強襲は、思いの外神的体力的消耗を強いたのか、別に昨夜は何もしてないのに、今朝目が覚めたら昼前でした。それでも本はむ。今はとてもずかしい本を読んでいますが、その話は後日。

 

て。

 

久しぶりに前の話の続きをしようと思うのですけど、すっかり忘れているだろうし、まぁそれもちょっとみのひとつといえばそうなんですけど、ただでさえ不親切とか優しくないと言われて星の数ほど出逢いを潰してきた私ですので、反省も教訓も無しではどこぞの政治家と一緒になってしまいますので、まずは簡単に話を振り返りつつ、ドロッとお待ちかねの政治家に対するこっぴどい悪口をば。

と言うか、前回の宝塚シリーズの最後では、ちょっとまるで東京口を言って終わったような気がするので、それは本意ではない、という話をするね。というのもね、昔、赤星たみこさん恋はいつもアマンドピンク、という漫画だったと思うんだけど、当時一緒に住んでいたお嬢さんが、なぜか漫画アクションが大きで、ちなみに私はその頃はモーニングを読んでいたんだけど。で、その漫画の中の主人公は、必死で東京人になろうと闘するのね。バブル直の頃の話でしたけど。

 

その中の台詞を今でも良く覚えていて、地方から来た東京人に負けたくないんだけど、元々東京が地元、っていう人はまったくそこが都会という感覚がなくて、理しているところがないから敵わないんだよね、と言うのね。もしかしたら、アマピンの次の作品だったかも知れないと、ちょっと安になってます。

でも、それはたぶん実だと思うのね。つまり、それは、前回の話で言ったように、東京という一地方そのものは、そう他の地方とわりがないのだと思うのね。水が不味い、という話をしたけど、風情のある町並みはっているだろうし、たぶん香川なんかよりもパワースポットが多いように聞く。そういう脈々と流れ続けてきたというモノは、決して変わりないと思うのね。日本人じゃないか。

 

それで、誤解を避けるために、その話をするまではずっと央、と言っていたのね。中央と東京が関わりあっているとしたら、中央がえる日本の姿が東京なんではないだろうか?ってがするのね。また、東京自身も、中央の意に添うように、期待を切らないようにふくらみ続けた、という気もする。それを象徴するのが、まさにをかなえる街、という現実だと思うのね。

 

ただ、今回は地方の話なので地方の話をすると、そういう東京と中央の違いを、地方はあまり識していない。東京という土地そのものがとても殊なような気がしているようなしてないような。とにかく、地方という存在が、中央という着ぐるみを被った東京れを抱いている。皆が引き寄せられる磁力は、たぶん東京にあるんでなくて、地方の方が石の役割をしているんだよ。それがまた、東京の幻想を作り上げて、というのでグルグル巻いているんじゃないのかな?

何かそういう感じの写が、小説コンセントの中にあったなぁ。最近読んだんだけど、なかなかこれが思いの外思いの外だったので、後日ちょっと時間をいてもイイかな。

 

でね、ちょっと話は逸れるかも知れないんだけど、仕分け作業っていうと、レンホー大臣の「一番じゃなきゃだめなんですか?」という台詞を、ことさら論って言われるけど、まぁ、それはさておき、私がびっくりしたのは、それに対するお偉いさんの対応なのよ。

学者さんとか、ノーベル賞を獲った人とか、大学学長さんとかが寄り集まって、あの見はオカシイ、一番じゃなきゃいけないんだよ、とアピールしたでしょ?

 

アレにっくりした。エ?この人たち、なんで金アテにしてんの?ってね。一番じゃなきゃいけない、という話はかるのよ。っともな話だと思うのね。でもね、それを研究するために、別に私達の税を使う必要ないでしょ?そもそも、もっともっと本当に使わないといけない、と政府が張するところに税金を廻すために、これとこれは優先順位を上げて、という仕分けをするのが目的でしょ?そのに、一番になるために税金がいるんですか?というでしょ。っている人を助けないで、やっぱり一番じゃないといけないんですか?

そういうことをびょ~んとっ払って、なんだあの仕分けはけしからん、というのは、ただの科学者のエゴでしょ?確かに彼等のい分はあるでしょう。でもね、そういう本の話をしないで、象徴的にあの発言だけを論って、何が教育者だ、科学者だ、と思ったのね。私でもかる話なのに。

 

iPhoneだったかのコマーシャルで、テレビ電話みたいにして、聾唖の人が話で会話する、というのがあったでしょ。アレを見てね、そうだ、科学の歩って、実はこういう弱い人、ハンデのある人を助けるためにあったんだよな、と思ったのね。それがいつの間にか、科学の進歩はするためにすり替わっている。これは多分、さっき言ったような偉いさんたちの頭の中と一緒で、ジネスの領域が拡大したからだと思うのね。

そもそも、科学技術が一番であるのは、それがこれからの産業のメインストリームである、許ビジネスで凌ぎを削るためなのね。まさに、一番じゃなきゃ、日本乏になりますよ、というアピールだったと思うのね。

 

だったら、企業がこぞって大学とか、研究所とか、そういうところに付とか一体的な経営支援とかすればいいと思う。例えば国立の大学の寄付に、何か制がかかっているのなら、それは問題だし、それを撤廃すれば済む話だと思うのね。

でも、結局、今の日本の企業に行投資を積極的に行うほどの体力はないんだろうね。だから、をアテにする。オッと、ここでがつきましたか?この宝塚シリーズの最初の方で話した、育の話にも繋がってきましたよ。さすがだね、しま♪さん、とめてください。

 

冗談はさておき、元々、先行投資とか教育とか、日本人はとても手な気がする。それを何処かで甘えとか、していると捉えるような風潮がある。日本の高度成長期はモノヅクリが支えたのは事実だけど、更にその底辺を支えたのは、師匠についてお小遣い程度の給料で、それこそ丁稚奉公靴底をめるようにして技術を磨いてきた、人権を無視した努力なのよ。その記憶がっているから、なかなか、後進が育たないのよね。

で、それがある意味、地方の態なのよ。過去の話に半ばなっているようで、実はまだしっかりと付いて離れてはいない気がする。前にも言ったように、今中央はガタガタでみ始めている。でも、東京という一地方都市としてみてみれば、それを正そうとする改革にはたぶんいていける。そういう練を積んできたのが、東京という土地なんだろうと思う。

 

でも、地方はう。地方からは東京の軋みしかえない。似をしても、土地そのものが、そこに住む人たちにそぐわない。つまり、地方は用を考えるしかないのね。

ただ、なんか々真似するな、って言っているんだけど、それを牽引してきたのは、実は私達の世代なのね。結局ここにいつもち着いてしまうんだけど、それはまた別の機会にざっくりと話すつもり。そういう世代が、今の事態になってオロオロして、あげく命だ、戦争だ、独立だと、言い出しては明治維新の繰り返しです。確かに、今行かもしれないけど、結局あの時代はテロとクーデターの時代だったんだからね。それがされていた時代、というべきか。

 

なんか、なんだかな話になってきたので、今日はコレぐらいにして、あしたはもっとどすい話をするので、そういうのより昨日みたいな軽くて全然オチのない話がいいな、という人はこのブログ へ行ってお仕舞い(笑)。

 

なんてね、マウスが使いにくい、と言ってみました。マウスもキーボードも耗品だと考えた方がいいんでしょうか?今キーボードは一のキーの文字が消えてしまって、「I」を押したつもりが「O」になったりとか、「K」のつもりが「L」で急に小文字になったりとか。マウスもなんか、カーソルがあっちに行ったままかなくなったりとか、もうエレクラの機材どころではないのかも、って事で。

 

それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。