ぎゅっともっと | ELECTRIC BANANA BLOG

ぎゅっともっと

操ないね、ハニー。最近ちょっと気になることがあって、何かって、なんかJの着く事務所の人がお酒のCMとか、今に始まったことじゃないかもしれないけど、ちょっと気になった。で、ついにその本人が、帰ってきたヨッパライをカバーするとか。談?だとすると、かなりラックだよね。どっちかというと趣味だと思うんだけど。

 

最近省とかいう言葉を良く聞くけどね、なんかネ空々しいというか、どうせまた、金ズルになったらみんなで持て囃すんでしょ?そういう所がなんともねぇ、想が無いというか、節操が無いというか。まぁ群がるのも早ければ、れるのも早いんだけど。そういう一にはなりたくないね。太宰さんもそういう、サロンとか、権威みたいな物にはとても悪感を示していたよね、コレなんか読むとね。

もの思う葦 (新潮文庫)/太宰 治
¥500
Amazon.co.jp

て。

 

あの頃あんまりにもたくさんMOREをやりすぎたために、さすがにきちゃって、いろんなバージョンのMOREというモノを良くやってました。簡単な所ではライブバージョン、とかいって、アルバムではフェードインする所を、何かちょっと層なイントロをこしらえてそこからリフに雪崩れ込む、なんてそれも元ネタあるんですけどね。

あとショートバージョンといって、MOREってイントロとエンディングのフレーズがじなのね。だから、タマに練習に他のバンドのボーカルとかびに来てて、セッションしようぜMORE唄わせろよこの野郎、という感じでメンバーは軽く目配せして、唄が入らないうちに終わってしまう、なんていう悪戯を良くしてました。また、アースシェイカーはそういうアレンジが多くて、RADIO MAGICとかでも単に出来るんですよね。

 

さて、その件のMOREですけど、私なんかちなみに当時はもうドラムをいてまして。どっちかというとあのリフが聞こえてくると、シンバルをんじゃうんですよ(笑)。

 

でね、このMOREって、エッセンスというか、当時若者が抱えていたドロドロしていた情的なモノに、とてもうまくシンクロするように出来ていたのね。それは、ちょっと高尚っていうか、テクニックが売り、みたいなラウドネスとは一線をしていた。ラウドネスには様が憑いていたんですけど、アースシェイカーは気の良い兄チャンだったのね。

 

人を憎む弱さをみた

おどけ笑いのうしろに

忘れていたひとりのGame

孤独の血がかよいだす

             MORE アースシェイカー 1984

 

冒頭4行でもうヘビメタの道フレーズがてんこ盛り。憎む、弱さ、孤独、そして(笑)。ざっと読むと、意味が有りそでなさそで、確かに今になって思えば読みはいくらでも出来るけど、サラッと読めばあまり情景というか、意味は伝わらないわけです。でも、人を憎む、なんていわれてある種のシチュエーションというか、気分がり上がってくるわけです。孤独の血とか通っちゃったら、もうり出さずにはいられないわけです。

 

Knifeをにぎりしめた

18の日々が甦える

 

ちなみにワタクシ16歳。それがもう18歳を夢みて伐とした気分に浸っているわけです。コレはね、ある意味当時の背伸びしたボーイの胸の内としては、我がを得たりそう来なくっちゃ、なワケです。実際にナイフは握りませんけど、りたくはなっているわけです。でも、では何をしたいのか?っていうと良くからないんです。この良くわからなさ、こそがティーンズの権なんですよ。

 

佐野元春さんが敵の存在を示してくれた、という話をしました。それを乗り越えて、つまらなくない大人をつかみ取れ、少なくとも今のこの世の中よりより胸のく社会を作ってくれ、というメッセージを受け取ったわけです。それは普遍的なモノであるし、それをり過ぎたモノだけが垣間見ることが出来るモノというのがあるわけです。

で、そうやって何かエネルギーだけを貯めていた当時の私達が求めていたモノは、実際に手にする触です。この手が、指先が、五感が震えるリアルなモノを欲していたのです。を点ければアッという間に燃え上がるための準備は出来あがっていたわけです。

 

それが私達の場合、MORE発したわけです。それまで目の前にあった霧が、すっと晴れて、敵の存在がわになったような気がしたんですね。

当時、私はすでにギターを手にしてましたし、バンドもやっていたんですけど、多くの同世代の人が高校に上がったおいにギター、という感じで高校でバンドデビューという方が多かった。だから、MOREを弾きたくて音楽を始めた、ギターを本気で練習した、という人もかったような気がします。私なんかは、やっと自分たちが練習出来る環境が整った、という感じで、また一緒にバンドが出来る環境も断然通しが良くなったわけです。

 

少し話は逸れますけど、私達の上の世代が狂していたのは、学生運動だった。マルクスで仕込まれた知恵が、争で華開いた。そして下の世代は、あまり良くは分からないんですけど、たぶんマンガ=ジャンプで培われたモノがゲーム=パソコンで開いた、ネットで華開いた、という感じがするんです。

形態は違えど、やはり、若者が抱える熱情とか、欲なのか正義なのか判然としないがるモノの存在は、たぶん変わらないと思うのね。イヤ、いたいのよ。だったら、なるべく健全な形で華させてあげたい、というのは親心。でも、それをり越えた所で爆発したい、というのがティーンズの本懐。たちごっこはずっと続くんだよね。

 

それでね、さっきも言ったように、私ともう一人中学の時から一緒にバンドやっているヤツの二人が、なんとなくシャカリキになってバンドやっている一団の振り役っぽいというか、まぁ、目立っていたのね。何たってそのもう一人は、お嬢さんががるイケメンでね、というのは別の話だし、たぶんヤツにこの話は無理なのだがそれは関係なし。

二年生の頃だったと思う。あるライブを企画して、というか知り合いでアマチュアのコンサートを企画している人がいて、その人がライブをやるというとウチをんでくれて、ウチが他にやりたいヤツ?っていう感じで同級生を加させる、という感じでライブを企画してたのね。一応チケットとか売るんだけど、その頃はどっちかというとキャーキャーいわれるよりは、ステージにつことの方が重要で。

 

だが、その冬頃にやったライブが、先生につかっちゃったのね。どういう経緯で見つかったのかは忘れたけど、まぁチケットを売る、というようなコンサートは一応止だったから、コレは校則違反で、すわ一大事、となったのね。で、蔓式に辿って、首謀者の私ともう一人が捕まって、生徒指導室に呼ばれたのよ。小一時間説教を受けたんだけど、全く何を言われたのかえてなくて、唯一覚えているのが、机が曲がっている(笑)だけだった。

 

その後、ババッとライブに参加していたメンツの親が一斉にび出されて、当時クラスで二人から四人は上げられていたので、ちょっと大きな教室がいっぱいになった。でも、そういう大それたことになっても、全然実感かなかったんだよね。口では大変なことになった女子はとりあえず絶対に名前を出すな、とか言っていたんだけど、別にいことをしていた気はなかったし、先生に怒られているという感覚が曖昧だったのね。

さすがにそうなると、まぁ先生にくってかかる親とか、また長々と説教する先生とか、いろいろいて右往左往する姿が見ていておもしろかった。で、ウチのクラスの先生は、それでは各クラスで話し合ってください、ってなって、すっと廊下にれ出されて、いわんでもわかっとるやろうからのぉ、と言ってニヤっと笑ってそれで終わりだった。せる先生だったんだよね。

 

つまりね、少なくとも私の中では、あの頃の存在って親とか先生とかと一般的には言われていた。でもね、なんかそれももう実感なくて、敵と呼ばれていた方としても、だんだんそういうのが形骸してきた感が否めなくって、両者熱さだけが空回りしていた時代だったような気がする。一応バンドをやっていて、何かを昇華してはいたんだけど、そのうち何を自分はえているんだろうか?なんて事に問を持つようになったんだよね。

バンドをやってわれたヤツはたくさんいると思う。私もそういう恩恵はいくつかは享受したんだろうけど、どっちかというと転落に速を着けたという気はするね。大して才能もないクセに、その気になっちゃうことをえてしまった。それはね、どうもアースシェイカーMORE示していたことなんじゃないかな。なんてうわけさ。

 

さて、まだまだアースシェイカーの話をもうし。

 

なんてね、全米女子オープンスケジュールでさっききたんだけど起きる前に自分の子供のオムツを換える夢を見たよ、って言ってみました。Youmeタウン高松ワンフロア分全部子供服、みたいなメガショップで、何人かのお友達さまと買い物をしているんだけど、俺の子が一番だぜ、みたいにずっと思ってて。最終的にオムツをえるんだけどその幼児が生まれてからはじめて、でぎごちないのでちょっと嫁に怒られたりして。ちなみに嫁はだったかは秘密、って事で。

 

それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。