さよならは言わない | ELECTRIC BANANA BLOG

さよならは言わない

年もだよ、ハニー。ってた?っていうかえてた?去年の今頃も挙やっていたんだよね。さっき、そういえば随分とおざなりになっているものばかりのエレクラの中でも、一番っとかれている鬼姫さん達、あれ何時ぐらいからやってないんだっけ?と思って調べていたらそうだったのね。しまった、寝た子をこしたか?

 

て。

 

以前、佐野元春さんのこんな曲を介しました。

 

ちょうど波のように さよならが来ました

言葉はもう何もいらない ただ見送るだけ

          グッドバイからはじめよう 佐野元春 1983

 

No Damage/佐野元春
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同じようなテーマの曲が、私の中でのロマンチックの化(笑)山本達彦さんの唄にもあります。

 

さよならは言わない 俺からは

気まぐれな君がまた

戻れるように

       さよならは言わない 山本達彦 1982

太陽がいっぱい(紙ジャケット仕様)/山本達彦
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どちらも静かに見送っているんですけど、果たしてあなたはどちらの言を選択するでしょうか?

 

前にも言いましたけど、私は圧倒的に佐野さんの方の別れを持しています。更に言うなら、一番避する別れというのが山本さんの方だと思うのね。まぁ別れにはいろいろあるんだけど、だいたいにおいて、去る側は立つ鳥跡をさず、そこにいた形跡すら消し去るぐらいでないと、私は思うのね。

変な言い方だけど、別れます、去ります、といった途端にそれまで一緒に流れていた時間が、々に流れ出すと思うのね。そしてそれはお互いに干渉出来ないし、また出来たとしてもるべきじゃないと思うのよ。そこら辺が、何かこんがらがっていて、人間関係っていうモノがかしくなっているのが現代ではないかな、と。

 

ずぅ~っと前になるけど、さよならはね、言われる方はさておき、言う方はもうあんたが死のうが喚こうが何しようが関係ありませんよ、手にしなよ、って宣言することだよ、っていう話をしたのね。だからこそさよならはしいんだって。それが本当のしさなんだよね。変に何かあわよくば予備に、なんて感じで何処かに繋がりを残しておくのは、どちらにとっても神衛生上よくないと思う。また、傷つけないために、友達に戻りましょうとか、そういうのはただのガママで、本当は優しさでもなんでもないんだよ。

 

さよならを言われた方は、当然スクを負う。これからも続くと思っていた時間が、パタッと扉を閉じるんだから、いくらこっちが扉を開けていても取っ手は相手がっているんだから、信じることも出来ないし、ただ祈るしかないってコレは酷な時間だよね。

一方でさよならを言う方は、よく言う方だってしいんだよ、なんて事をおっしゃる方がいますけど、それは間違いで、少なくともさよならを言うことで自分の望みは叶っているわけで、それだけアドバンテージはあります。そしてこのアドバンテージは大変きい。

 

この差をスクヘッジしようとして、人間関係がおかしくなった。それが、結局晩婚(耐える時間)、少子化(戦意喪失)にがったんだと思う。それは絶対にさよならを言う方の責任だよ。まぁ、言う方にしてみれば、そんなのおいなしなんだろうけど。

さっきからおかしくなった、という言い方をしているけど、結局多くの人は、ッファーとしてのさよならは言わない方をとったんじゃないかな、とも思うのね。潔いのは佐野さんの方だけど、コレはけっこうな断力がいる。さよならを言う方は矢面に立つことをいとわず、言われる方は後腐れナシという地に自分で持っていかないといけない。ここら辺のリスクヘッジを、私は恋愛バックアップ という対処を提唱しているのだけど、まぁそれはの話。

それよりは、昧にしておく方が全然どっちにも転べるから有利、だというのが大方の意見でしょう。でも、そういう緩い繋がりが、違いの元。この繋がりと、恋愛バックアップ の緩く手を握り合った繋がりのいは、わかってもらえるかなぁ?付かず離れず、という関係がね、別れの苦しさを緩和してくれる代わりに、踏み込んで家庭を持つ、という断力も曖昧にしてしまったんだよね。

 

私はさよならを言わないぐらいだったら、付き合っている間から々と二股をかけている付き合いを望むね。その方がずっともしろい。ただ、この思想って、かってもらえないんだよなぁ。説明してもしい。特に、それを分からせてあげることが本当の優しさで、リスクを一心にけ付けるという立場っていうか、そういう感じのオンコロロっていうか、叫びはコレを参考にしてくれ。

 

いくら錆びても弦は弦  (←←←クリックしてピ)

 

またしても、オチのない話で終わりそうなので、めましょう。さよならはちゃんといましょう。言ってげましょう。そんなだったらきていてもしょうがないよ、といわれたらハッキリと、ジャ死ねば、って言ってあげましょう。血ももないヤツだな、って言われたらアラそうよ、知らなかった?ってってあげましょう。

たぶんそこまで言われたら、相手は上して何かしてくるでしょう。相手は憎む、という事でグッドバイのリスクを換しようとします。でも、それをあなたがえるだけで、あなたの別れたい、という思いは達成出来るのです。新しい出逢いや、もっと晴らしい人間関係が待っているのです。ちょっとの慢です。あんまりかったら、警察に届けましょう。イヤ、今ならそのの知り合いの方が力強い味方ですけどね。

 

なんか酷いコトってます?でもね、実は90年代に入って、そういう人間関係がインストリームになったんだよね。そこまでのハードな関係に耐えられないモノはドンドン落していった。そして本当にそれを通りけられたモノだけが勝ち組になった。イエイエ、男女関係けのことを言っているのではないですよ。例えばさよならを言う方を業、言われる方を派遣切りにあった遣社員、と言い換えてもイイです。

今はり戻しでもっとさよならを言わない方にしようよ、という風潮が産まれてますけど、それでは強い経済とか、強い社会は産まれません。もっともそんなにくなる必要はない、という意見もありますけど、それはまた別の話です。解決するなら、ちゃんと別れのリスクヘッジを倒見る何かを考えた方がイイです。

 

ずいぶんとくなっちゃったけど、二週間もかけてロマンチックな気分で、人間の甘さというかまぁしま♪さんの落人生の発端を垣間見てみたわけですが、如何でしたか。ただ、どうもこれもこのままではわらない。歌詞を縦軸に歴史を振り返ると、まだ、言葉に切りを付けるまでには紆余曲折ある。今度はもっと、ヘヴィな話をしてみようかとったりとか思わなかったりとか。

 

なんてね、今日のお昼の番組で将棋の先崎さんが私より年って事を知って愕然としたよ、って言ってみました。見かけは全然私の方がいよな、シノちゃん。最近ちゃんと自分を見つめて、ありのままの自分をちゃんと識しようと思って、歯を磨く時に鏡を睨んでいるんだけど、私って怖い顔しているんだよね、シノちゃん。太ってて、目つきが悪くて、顔の中心にエックスのが寄るんだよね、シノちゃん。コレはもう全にヤクザの顔だよねシノちゃん、って事で。

 

それでは今日はこの辺で、ご機嫌よう。