アトリエで新しい曲を創ったり、実はこどもに歌わせ続けてきたけど自分の弾き語りレパートリーにはなっていない曲を、練習してみたり。


パパに頼んで創ってもらった歌ものの曲もそれなりにたくさんあるので、どれも歌えるようになりたい。


のだけど、それは、まだ、ちょっと、やれるところまで心をよっこらしょできてない。できてないのにここにこうかいてるのは、ほんとうにやりたいし、やるんだ、っていう、ささやかな背水の陣への立ち方。ラルスコット・ギグの曲とかも、歌いたいな。


音楽とは、心を豊かにするためにそばにいたい。


。。。。。。


本心ではあんまり好きではないと感じたことを無理矢理やった結果、世界が広がった


ということもあるけど


嫌いなことをやってしまったという自分への背徳感が未来永劫やんわりと自分を苦しめてしまうことがあるのも事実


どっちもどっちなら、好きなことをやっているときは、結果はどうあれ、やっているあいだゴキゲンでいられるんだから、やっぱり、好きなことをやるほうがよいな、という考え。


そして、どんなジャンルにも、本当にそれが好きで得意な人がいるもので、あんまり好きじゃないけど嫌々やったところで、一等賞レベルにはなれなかったりもする、という考え。


でも、苦手なことをやれるようになったら世界が広がって、そのあと楽しいものと出会って、元からの自分の個性をより活かせた!ということも、あり。


ようは、たぶん、ただただ、選択。どの選択も素敵になる。後悔しない選択をしろ、じゃなくて、選択を後悔しないこと。後悔されてない選択は後からどんどん宝物になって魔法になってく


そう、おもう。


ほんとのこと言うと、今朝、かなり未来にこの公演のことを思い出す夢を見たんだ。それは、ひとつの物語だった。目が醒めて、夢だと気付いて、しばらく、なんにも喋らなかった。またやりたいな、リュズタン。

AIがなんでもできちゃう時代もきているのだし、物語や芝居だなんだも、AIが創れてしまう時が来るかもね。嫌じゃない。ぼくは、たぶん、AIのことも「彼ら」「彼女ら」と思う気がする。そこに根差す物語を愛してみせる。


僕ら、それを創ったひとの物語、という物語を踏まえて物語を呑み込むことがある。そして僕にとっては、それは上等な体験だったりする。


どんな思いで創ったか、それって、大切。


思いだけじゃ、いい作品はできないって?


違うよ、想いがあれば、いい作品を創ろうと思うんだ。僕が好きなのは、相手のため、誰かのためっていう、思い。


違う思いで創っている作品は、ときに僕には合わなかったりする。それが、好みというのかもね。

衣装の永田さんからもらった、藍染め蝶柄のパンツ。ダボっとしてる服が好きなもんで、気に入ってる。靴は、「足元を見るっていう言葉があるでしょ?靴って、大切なんだよ、タク」というようなことを何十年も言い続けているうちのママが選ぶ。俳優をやっているのに自分のいでたちを他人の思いやセンスに任せ続けるという、こだわらないという、こだわり。こどものころから、おさがりかいただきものが、ほとんど。

昨晩、あんまりねむれなかった。そんな夜も、そんな物語として、ぜんぜん、いい。気持ちよくない物語も、いつかのための伏線、と、思うようにしてからだいぶ、悪くないあんばいよ。


どうだ、夜だ。すごいぞ、夜だ。


雨は、やんだ。

でも、降りたかったら、降れ

降って降って触れてくれ


劇団員みんなで遊びたいな

知り合いみんなで遊びたいな

知らないひとたちと遊びたいな


みんなみんな

えんやこら、やろうね


生きているもの、なるべく生きて

でも、死んでしまったものも、ぜんぜんそばにいるし、それは、感じるから


ぼくは強く強く

こいつはいい世界だぞ

と、おもいながら


愛するものめいっぱい愛して


明日もなるべく生きていきます



思わぬ別れに苦しんでいるあなた


だいじょうぶ

だいじょうぶだから

かなしいけど、さみしいけど


絶対に、それは不幸なことではないし


あなたのせいじゃない

絶対に、ちがう


きっと、あなたごときで、どうにかなるほど

世界や命はもろくはなくって

ちゃんと、うまくいくように、なっていたことだから


悲しい想像で、傷ついたりしませんように


優しい方の物語に

正しい方の物語に


あなたの心が誘われますように



おやすみなさい


おやすみなさい


ねむれなくても

やすみましょう

せめて、こころは

せめて、からだは


おやすみなさい