こんな、全世界に配信しようだなんて回線を自ら利用しておきながら言うのもおかしいのだけど、
その、なんというか、マスメディアなんていうものは死に絶えてはくれないだろうか。
そんなことを、すこし、いや、大々的なスケールをもってして、思うのである。
けっこう、日がないちにち、おもい悩むのである。
なんの因果で、集団暴行をされて自殺した少女の沖縄の話を聞かなくてはならないのだろう。
わざわざこんな、海を挟んださきにある東京に住んでいるのに。
“気をつけましょう”がテーマか?
“やってはいけません”がテーマか?
すくなくとも俺は、そんな記事を聞かされるもしくは読まされないかぎり、思いつきもしない。
なんとかって芸能人がラリってひとを殺してしまった話なんか聞いたって、
笑えるほどシニカルでドライな思考はあいにく持ち合わせていないファンシーな俺であるし、
とてつもなく正直に言えば、湾岸で爆死している人間がたくさんいる事実だって、
できることなら知りたくない。
誤解はいやだから言うけど、
知らなくちゃ、とはおもっている。
これは、みんなの問題なのだぞ、と。
地球の裏側の、手足をチョン切るような虐殺を無視して生きるのは、罪悪だ。
だがみんな、そう思ってるか?
果たして。
果たしてどうなんだ。
じゃあ、なんでこんなに、暴力を描くドラマが溢れてるんだ。
それを観て、みんなニコニコ興奮してるんだ。
被害者が、なんかオマケ扱いなんだ。
頭おかしいんじゃないか?
すげぇ、おもうんだ。
かくいう俺だって、トラジェディが絡んだ作品ばっか描く。
けれども、興奮なんかしていない。
そんなの当たり前だ。
他人の不幸が大人気でとりひきされてるってのは、平和だってことなんだろうか。
中学校のとき、タバコを吸う奴らを全力で馬鹿にしていた。
殴られようと呼び出されようと、俺の中で奴らはダサかった。
なんか話が迷走している。
すんません。
なんにせよ、「俺らはシビアで抜き差しならない生物なんです」てメッセージには飽き飽きした。
そんなん考えれば誰でも行き着く。
こんだけなにもしないでも腹が減ってくるんだ、すこしは自分で考えろ。
AKIRAて漫画あるでしょ。
昔、正月に家族でみてただ怖くて後悔したことくらいしか覚えてないんだけど、
あんなんより、
あんなんよりも、赤塚不二雄のほうがよっぽどロッカーなんだ。
それが、いまの持論。
不幸に憧れるような、
しかもそれが周りへのポーズとしか思えないような、
マヌケでスカスカの時代に、
イライラしてるだけど一日が終わってたりする。
そんなこんなで、
けっこう、もの創りに時間がかかって、
停滞してたりする、今日、この頃。