「夫の帰りを待ち続ける日々」
2014・1/8付 岩手日報 「声」欄より
宮古市在住 66歳女性の投稿
友達や知り合いは
「いつまでも泣いていては お父さんがあの世に行けないで 心配しているんだよ」
「早く元気にならねば」 と励ましてくれる。
今は人前で 夫が震災で亡くなった話はあまりしない。
人の集まる所に出て、話をしたり笑ったり、だいぶできるようになった。
でも、その後、家に帰り、玄関をあけて一歩入ると、どっと気持ちが落ち込む。
迎えてくれるのは 夫もかわいがっていた猫だけ。
今もあの時の情景が忘れられない。
何もなかった人は、いつまでもなぜと思うかもしれない。

日が短いこのごろ、
目が覚めると まだ薄暗い布団の中で
「お父ちゃん、お父ちゃん」 と呼んでみる。
「どこに行ってしまったの、私を一人残して」
「帰って来て、いつまでも待っているから」
私には新年おめでとうもない。
年があけてすぐ震災3年が来る。
亡くなった人は忘れられ、復興もなかなか進まない。
娘も仮設に親子3人住んでいる。
私は自分が生きている限り、夫の帰りを待っている。
朝は毎日、仏壇の夫と話している。
何でお父ちゃんは帰って来ないのと。
「としつきは すぎて行けども われ涙かれぬ」
この投稿を読んで 心が斬られた。
被災者の間でも格差があるそうだが、これはまさに 「心の格差」だ。
この女性が自分の心境を 吐露する場所が 新聞の投稿欄しかなかったとは。。
誰にも理解してもらえない やるさなさ。
「私には新年おめでとうもない」
何事もなかったかのように 次から次へと浮かれ騒ぐ世の中を
置き去りにされた心は どんな思いで見ていたのだろう。
私には何も出来ないけど、せめて思いは共にしたいと思う。
あの日から 贅沢も 浮かれ騒ぎもやめた。
自分が生きている限り 毎日が 「喪中」だと思っている。
2万人もの犠牲と 日常と尊厳を奪われた数十万人の無念さは
明らかに 人災でもたらされたものだ。
これを考え出すと 私のDNAに組み込まれている
かつて倭人に蔑まれ虐げられた 蝦夷の怒りが沸えたぎる。
しかし、現代の蝦夷たちは 感謝の言葉を口にし、とても謙虚だ。
昨日の「被災地からの声」から 津波で家を失った20代の若い女性の言葉。
『被災していない人が 「家が欲しい」というのを聞いて、
…えっ? 家がないのは私の方なのに…って。
恵まれた状況にある人を見ると つい うらやましいと思ってしまう。
とても嫌な自分になってしまった 』 と。
そんなことないよ。人間だもの。 うらやましいと思うのは当然で、
本当に 「嫌な人」というのは あなた方から目を背けて
権力を笠に着て 用でもないことを企んでいる輩のことだよ。
この健気さが切ない。 愛すべき同胞(はらから)たちよ。
明日で 震災から2年10ヶ月。
それぞれの思いが また一つの節目を迎える。