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あまりにも有名な 宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」。
国語の授業で 初めて触れて以来、
大して知らないくせに 分かったようなつもりでした。
でも、大人になって さまざまな経験を積んでから 改めて読むと、
この言葉に こめられた賢治の心境が切々と伝わって来ます。
雨にもまけず
風にもまけず

雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち

欲はなく
決していからず
いつも しずかにわらっている

一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ

あらゆることを
自分を勘定に入れずに

良く見聞きし分かり
そして忘れず

野原の松林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気のこどもあれば
行って看病してやり

西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい

ひでりのときは涙をながし
寒さの夏はおろおろ歩き

みんなに でくのぼうと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず

(サフイフモノニ) そういうものに
私はなりたい
宮澤賢治は 昭和8年、急性肺炎のために、
37歳の若さで 亡くなりましたが、この詩を 書き記したのは
その病と 闘っていたころだと 言われています。
人に見られることを 想定しない、手帳の中に 書き記された
ひとりごとのような メモでした。
童話作家や詩人などと 評価されるようになったのは 死後のことで、
その短い人生で 何度も挫折をくぐり、
不器用ながらも 懸命に生きようとした賢治。
私心なく 自分を費やす生き方は
彼の純粋な信仰心によるものなのでしょう。
「サウイフ モノニ 私〈モ〉 ナリタイ…」
(そういう者に 私もなりたい)
なぜか 最近、とくに心に響きます。