常磐線全駅間歩き3(ひたち野うしく-高浜) その1・荒川が無いのに荒川沖 | 駅から駅まで・旅のあしあと

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鉄道路線全ての駅間を歩く全駅間歩きを10年以上続けています。
今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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新年明けましておめでとうございます。

本年も山あり谷あり、いろいろな所を歩き回りたいと思いますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

さて、新年最初に紹介する全駅間歩きは常磐線です。

昨年の2月にひたち野うしくまで歩いたきりご無沙汰でしたが、

今回久しぶりにその続きを歩きたいと思います。

 

寒いながらも汗をかかずに歩けるわけで、

こういう時期こそ長い距離を歩きたいものですが、

日没時間まで早くなってしまい、今回のゴール駅は高浜駅とちょっと短めです。

 

実は、すでに次の区間も歩いているのでちょっと変な感じもするのですが、

そちらの様子も1ヶ月後くらいには紹介できると思います。

それでは新年最初の全駅間歩き、いってみましょう!

 

…実際に歩いたのは、去年の11月ですけどね。

 

 

[そのほかの常磐線シリーズはこちらから]

1回目: 日暮里-柏

2回目: 柏-ひたち野うしく

4回目: 高浜-友部

5回目: 友部-勝田

6回目: 勝田-日立

 

 

11月23日(金・祝)  歩行区間:ひたち野うしく-高浜  天気:晴れ

ひたち野うしく(7:15発)-荒川沖(7:55着・8:10発)-土浦(9:46着)-

 

 

今回も例によって自宅からスタート駅へ向かいましたが、

ダイヤの都合でいったん都心方面に進んで、南千住から常磐線に乗りました。

無事着席できればあとはしばらく寝るだけ…なのですが、

この時期になると冷え込みも厳しく、ドアが開くたびに冷たい風が入り込んできました。

ドア隣の席で寝ていたもんだから、それが気になるもなんも…。

 

さらにいえば、今回は体調も万全とはいえません。

3日ほど前に熱っぽさを感じて以来、少しだるい状態が抜けなかったのです。

熱が出ているわけではなく、普通に動く分には問題ありませんでしたが、

時々咳き込むような状態でした。

 

とりあえず歩いてみて、

厳しいようなら途中でやめたいと思います。

 

 

スタート駅・ひたち野うしく駅に到着しました。

 

日の出時間は過ぎましたが、地元より明らかに寒かったです。

このときの土浦の気温は5℃。

そりゃ寒いわけです。

 

 

 

今回は北口からスタートしました。

 

 

 

準備体操終えたら、早速スタートしました。

まずは国道6号へ向かいました。

 

 

 

このあたりまで来ると、国道6号も片側一車線です。

北方向へ歩きはじめると、まもなく土浦市に入りました。

 

 

 

水戸街道の荒川沖一里塚です。

こんもり盛られた塚の上に碑が立っていました。

 

 

 

国道をさらに北上しました。

 

 

 

荒川沖駅方面との分岐が見えてきました。

国道はこの先で左にカーブしますが、こちらは直進します。

 

 

 

国道を離れ、荒川沖駅方面へ向かう道に入りました。

水戸街道の旧道もこの道なので、古い民家をちらほら見かけました。

 

 

 

このあたりから先が荒川沖宿のようです。

今は住宅地ですが、かつては商店も多かったんだろうなと。

 

 

 

交差点を右に曲がって、駅前通りに入りました。

こちらは駅前商店街という雰囲気が出ていますが、

店じまいしたと思しき店もやはりちらほらと。

 

 

 

荒川沖駅に到着しました。

最初の駅間で距離も3kmちょいなら、気分的にもあっという間です。

 

 

ところでこの駅名、ちょっと違和感ある駅名じゃないですか?

海でもないのに「沖」だなんて。「埼玉県沖」じゃあるまいに。

さらにいえば、そもそも駅の周囲に「荒川」という川はありません。

 

種明かしをしてしまえば、「荒川」郷の「沖」村というのが地名の由来なんだそうです。

じゃあなんで「沖」村なんて名前だったのかと思うところですが、

「沖」という言葉は、「海の奥」という本来の意味が転じて、

「広い田畑・平野」「奥まった場所」という意味合いを持つこともあるそうです。

 

それが「沖村」の直接の由来かは分かりませんが、

沖という言葉が使われるのは、海だけじゃ無いということで。

 

 

 

ホームは2面2線の相対式ですが、

上下線ホームの間には中線が設けられています。

 

今のところ、体調に問題はありません。

次の駅間も問題なく歩けそうです。

 

 

 

次は土浦駅です。

距離は前駅間の倍以上あります。

 

まずは、さっきとは違う道を通って水戸街道の旧道に戻りました。

 

 

 

旧道に戻ってまもなく、立派な茅葺き民家が現れました。

 

 

 

しばらく進むと、再び国道6号が見えてきました。

 

 

 

国道6号に復帰しました。

左手前の集団は、地図を見ながら同じ方向に歩いていました。

あの人たちも、街道歩きの人だったのかな?

 

 

 

途中の分岐で旧道に入ってみました。

6号から分岐してまもなく、小さな商店街に入りましたが、

このあたりも街道時代は宿場だったのでしょうか。

 

 

 

再び国道6号に戻りました。

あのあとも街道歩きをしているっぽい人をちらほら見かけたのですが、

旧街道を外れると、ぱったり見かけなくなりました。

 

 

 

土浦バイパスには進まず、

国道6号の旧道と思しき国道354号に入りました。

 

 

 

土浦市街地に入りました。

このあたりはロードサイド店が連なっていました。

 

 

 

途中で水戸街道の旧道も合流してきて、

今度は旧道をなぞるように分岐を直進しました。

 

 

 

進んだ道は完全な市道でした。

水戸街道の旧道であることを示す看板等はありませんでしたが、

所々に残る古い民家がそれを物語っていました。

 

 

 

そのまま桜川を渡りました。

 

 

 

ここにも昔から続いてそうな酒屋さんが…。

 

 

 

大通りに突き当たったところで右に曲がり、駅の方向へ進みました。

 

頭上には高架道路と思しき構造物が走っていました。

これはいったい何者なんでしょうか。

 

 

 

少し駅の方へ進むと、こんな階段がありました。

どうやら高架道路に登ることができそうです。

 

 

 

登った先にあったものは、片側一車線の道路とバス停でした。

こんなに立派なスペースがあるのに、止まるバスはつくば方面行きと水戸駅行きが1本ずつ。

つまり、1日にたった2本しか止まりません。

 

 

この道路は、「土浦ニューウェイ」と呼ばれる自動車専用道路です。

元々は、筑波科学万博の来場者を土浦駅から円滑にバス輸送できるように作られたそうです。

現在はバス以外の一般車両(大型車、二輪車除く)も通行できますが、

土浦花火大会開催時はこの高架道路をシャトルバスが走行し、

その際はバス以外通行止めになるんだそうです。

 

ということは、

路線バスは免許維持路線として残しているんでしょうか。

 

 

…と、ここでひとつ疑問が。

シャトルバスを駅から郊外に送るだけなら、

あえて中心市街地を横切るようなルートにしなくてもよかったわけですし、

なにより、高架道路に無理矢理バス停を設ける必要はないですよね。

なぜ、こういう形にしたのでしょうか。

 

実は、この「土浦ニューウェイ」は頃合いを見計らって、

新交通システムに転用する構想があったようです。

このバス停の地上とのアプローチは階段だけですが、

歩道橋やエスカレーターが設けられているところもあるそうです。

バス停にしてはずいぶん過剰な設備投資は、

将来の転用が視野にあったのではないかと考えられるわけです。

 

今となっては、もう転用は無理くさいですけど…。

 

 

 

高架道路は離れていきましたが、こちらはまっすぐ進みました。

 

 

 

このあたりは、古くからの駅前商店街という雰囲気でした。

 

 

 

再び近代的な建物が増えてくれば、まもなく土浦駅です。

 

 

その2へ続く

 

 

ひたち野うしく駅から土浦駅手前までのGPSログ(1/73,00)です。

歩けるところでは、水戸街道の旧道に沿って歩いてみました。