人類に有害な医療が生じるならば、唯物的な生き方をする人に性的本能のおそるべき迷いを生じさせるでしょう。そして霊的な力で自然力を利用し、そして世界の機械化を達成しようとするでしょう。唯物的な世界観ではそのような事柄を洞察できないでしょうし、正しい進化の道から迷い出ても、それを知ることができないでしょう。丁度眠っている人が盗みに入った泥棒のことを知ることができないようにです。眠り込んでいる限り、盗まれても、その事件はその人の前をただ通り過ぎていくのみです。目が覚めたあとで、やっと何が起きたのかを知らされるのです。しかしそうだとすれば、その人にとって非常に寝覚めの悪い朝を迎えることになるでしょう。

人びとは特定の経過や特定の成分の治癒力を本能的に知ることができたことに満足を感じるでしょう。そして異常な性の本能を更に追求し続けることに快感さえも覚えるでしょう。そのような追求を普通の人にはできない、特別高度な要求であり、偏見や拘束からも自由な生き方の現れだと思って、それを賞賛しようとするかも知れません。こうした観点に立てば、どんな醜も美になりますし、どんな美も醜になります。それはすべてを自然必然性の現れだと見做すことの結果なのですが、そうなってしまえば、本質的なことは何も見えなくなってしまいます。そのような状態は人類が個々の人間のために定めた道からの逸脱行為でしかありえません。

『天使は私たちのアストラル体の中で何をするのか』ルドルフ シュタイナー 高橋巖 訳