石ころは本当にあるのか?? | 岡本一志 幸せのタネまき日記

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●「したがって、他人の自我が実在するとは言えません。」


返信有り難う


まず、はまちゃんの実在の定義ですが


「また、実在するとは、現実に存在するということで、

 物質として、あるいは情報として、万人がそれをそれと認識することができ得る」



上の定義から言うと

錯視は実在と言えないのではないですか??


 「錯視の線は実在すると定義すれば、顔も実在すると言えます。」

 「すなわち、錯視の線は、それが見えている間は実在すると定義します。

  見方によって、実在したりしなかったりします。」

   ↑

  ある人は間近で ある人は遠くで見たとき

  同じ時刻に同じ絵を見ても、ある人には線が見えてある人には

  線が見えていないからである。


  そもそも実在しないものを見るから錯視というのではないですか?


しかし、もっと本質的なのは


最初の定義


「また、実在するとは、現実に存在するということで、

 物質として、あるいは情報として、万人がそれをそれと認識することができ得る」


と実在の一例としてあげた


★「この石ころは、万人が見ることも触ることもできますので、実在します。」は


  「他人の自我の実在・存在」を前提にしていることになりませんか。


  私が認識するのと同じよう(私にとっての自我の存在を前提として)に、

  他の人(万人)が認識する・見ることも触ることもできる。

  ということですよね。


はまちゃんのこれまでのものをまとめると


自我・・実在しているとは言えないが本人にとって存在する。

他我・・実在するとは言えない。

石ころ・・実在する
  
石ころはなぜ、実在すると断言できるのでしょう??